3-叛逆の仕事術

「目標」は何のため?

あけましておめでとうございます。
2011年もよろしくお願いいたします。

こたつに入りながら、ほぼ日手帳2010年から2011年に移行作業を終えました。やはり新しい手帳は良いですね。まっさらな新年が自分の手元にある感覚がGoodです。

さて、「一年の計は元旦にあり」という表現をここから3日でおおよそ50回は目にすることでしょうから、「目標」についてちょっとだけ書いておきます。ほんと、ちょっとだけ。

目標を立てる理由

なぜ「目標」を立てるのか。それはもちろんその目標を達成するため・・・でしょうか、本当に。確かに自分の掲げた目標を達成することは素晴らしい事です。でも、例えば目標を立てて、一生懸命それに取り組んで、それでも失敗したらそれは「素晴らしい事」ではなくなるのでしょうか。

そういう「結果原理主義」的な考え方ももちろんあるでしょう。結果ありきは評価の判断が容易で「客観的」でもあります。

でも私は、結果は結果として尊重しつつも、過程を重視したいと考えています。目標という地点にたどり着く事ではなくて、自分の足でその階段を上っていく体験こそが得るべきものではないでしょうか。

私なりの、「なぜ目標を立てるのか」という問いかけに対する答えは

「今やるべき事を明確にする」
「毎日を充実したものにする」

という二つの解答になります。

目標が無ければ、その時何をすればよいのかは見えてきません。また、どこかに向かっている感覚がなければ一日一日は無為に過ぎていくでしょう。だから目標というのは必要だと思います。しかし、目標が「達成されることありき、達成すれば何でもよい」みたいな所にまで行ってしまうと、なんだか妙な事になります。仮に結果さえ出せれば何でもよい、ということになれば、行き着く先は「お金を手にするには銀行強盗」「満足感を得るために麻薬」と全く同じ地平線です。

私は超が付くぐらいの楽観主義なので、「結果はまあ後から付いてくるだろう」と思い込んでいます。

人生はどうみたって複雑系です。北京の蝶の羽ばたきからニューヨークの台風が起こりえる事を知っていたとしても、それを予測することはできません。人生だって自分の今やっている行為が最終的にどのような効果をもたらすのかを予想したってあんまり意味がないと思います。

必要な事は「どのような状況でも、その状況内での最善を尽くすこと」。これだけではないでしょうか。それを実現するための手段が「目標の設定」だと思います。

コントロールほぼ不可能

この辺は「人生をコントロールできると考える」割合によって心構えが変わってくるのかもしれません。私自身は全くではないにしろ、ほとんどコントロールできないと思っています。細かい観測データから少し先の気象状況を予想することができたとしても、全世界の天気を意のままに操れないように。

出来ることは、雨が降ったら傘を差し、晴天の下では寝っ転がって空をぼけっと眺めることでしょう。私たちが人生に対してできるコントロールの割合などその程度ではないでしょうか。

自分がぎりぎりでもコントロールできるのは自分だけです。要は状況にどのように対応するのか、という部分しか操作出来ません。そして、それすらも意識していないと流されるままになりがちです。

どのように対応するかは人それぞれでしょう。ただ「今を楽しむ気持ち」というのは大切かなと思います。むしろ「今を楽しまないのはもったいない事だ」と考えてみるのも一手かもしれません。「楽しむ」というのは、主体的な気持ちです。案外心持ち次第で変わってくるかもしれません。

さいごに

「目標」は大切だとは思いますが、それに心を縛られていると非常にもったいないと思います。一度立てた目標だって、状況が変われば、それに対応して変わってよいはずです。あきらめない心の重要性が説かれていますが、それを苦痛に感じているとしたら何か違うような気がします。「あきらめない」というのは、それをやるのが楽しくてしかたないけども、結果が付いてこない、という状況の時に意味を持つものです。

それ以外の状況では、訪れている新しい機会を見過ごしてしまう可能性の方が高いのではないでしょうか。そして、比較してみたときに「現状を楽しんでいる人」と「そうでない人」ではどちらが新しい機会が巡ってくる確率が高いかは考えるまでもないでしょう。

チャンスを活かせる人は、チャンスに対して心を開いていて、来るべきタイミングのために常に準備をしている人です。「準備が出来ている人」ではなくて「常に準備をしている人」、つまり毎日少しずつ階段を上がっている人。目標は、そういう使い方をするものなんじゃないかな、と思います、

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