4-僕らの生存戦略

自己啓発と無限ループ

『七つの習慣』という本がある。書店の本棚に並べるとすれば、「自己啓発書」となるのだろう。非常に売れている本だ。私が持っている版でも「国内100万部突破」の帯が付いている。それを示すようにこの本を絶賛する人は多い。

さて、ここで二つの疑問が出てくる。これくらい国内で売れている本であれば、そして賞賛する人が多いほど力を持った本であるならば、日本国内は「成功者」で溢れかえっているはずだろう。道を歩ければ、100人に一人は満ち足りた人生を歩んでいる人にぶつかるはずだ。

で、現状はそうなっているだろうか?。これが疑問の一つ目。もう一つはそもそも「自己啓発」とは何か?という事。今回はちょっとそういう事を考えてみる。

「パラダイムのシフト」というパラダイム

私は別に『七つの習慣』を否定しようというのではない。我が家の本棚にも鎮座しているし、引いてある赤線はドラッカー本ほどではないにしろ結構多い。書いてあることにはおおむね同意できる。なかなか優れた内容と言ってもよいだろう。

そういう本が存在して、しかも売れているのに、なぜ多くの人は「満ち足りた人生」を歩んでいるように見えないのか、という純粋な疑問が出発地点だ。

その『七つの習慣』から引用しよう。

行動や態度の源であるパラダイムを見つめることなく、表面的な行動や態度を変えようとしても、長期的にみてほとんど意味がないということである。

やはり、この部分がどうしても出てくるのだろう。言ってしまえば認識や考え方の部分。この部分が変わらない限りは、結局長期的に影響を及ぼす変化は起きない、という事だろう。それは『七つの習慣』という本の内容に関しても同じ事が言えるわけだ。

『七つの習慣』という本の内容うんぬんの前に、読者が何を期待してこの本を読んでいるのか、というパラダイム自身が大きく影響してくると思う。

そもそも自己啓発とは?

先に進む前に、すこし「自己啓発」という言葉について考えてみたい。

「啓発」という言葉を辞書で引くと、

ある物事について無知の人々を教え導き、関心を抱かせ知識を与えること。

とある。これを土台すると「自己啓発」という言葉のとらえ方には二つある事がわかる。

一つは

「自分を自分で啓発していく行動」

もう一つは、

「自分を他人に啓発してもらえる環境に置く行動」

この二つは一見似ている。例えば、読む本や参加するセミナーなどは重なってくるかもしれない。でも、そこで得るものは全然違う。スタートとなる心理的な欲求や構造自体大きく違うから、そうなる。

後者の態度は、極めて乱暴に言い切れば「答えを教えてください」という態度だ。そして、それは純粋に言葉の定義に沿えば自己啓発ですらない。他人の啓発を受けているだけだ。要するに自分の人生に自分で責任を取ろうとしない行為だ。

前者の態度は、「考えるきっかけをください」だ。あくまで答えを出すのは自分自身。これが字義通りの自己啓発と言えるだろう。

良く生きるためのツール

私は自己啓発書を読むなとか、他人に教えを請うなとか、言いたいわけではない。そうういうのは自分の人生に新しい光を与える手段の一つとして有効だと思う。

でも、それは所詮「良く生きる」ための手段でしかない。自分が自分を啓発していくためのツールと言っても良い。

だから、自己啓発の本を読んで、それがうまくいかない時に自己嫌悪に陥るという状況はあきらかにおかしいと思う。そんなのは、アクション映画を見に行ったのに、ホラー映画なみの恐怖に苛まれて映画館から出てくるのと同じぐらい馬鹿げている。

手段の軍門に下ってはいけない。そういうのは思考の放棄であり、自分の人生に対するいくばくかの責任放棄でもある。「答え」というのは、その時その時の状況に合わせて、自分自身が判断し、決断を下していく中で出てくるものだ。そういうのは「重い」。だからパスしたくなる。でもって、パスし続けていると「一九八四年」の世界ができあがるわけだ。

ツールなんてうまく利用してなんぼ、である。ツールが使えないから自分が悪い、自分は劣っている、という発想は結構いびつである。そういう発想は「答え」を先に求めてしまっている状況から出てくるのではないか、と思う。

自己啓発書というのは、自分の生き方に役立てるためのツールだ。自分の生き方を自己啓発書が提示する生き方に合わせるものではない。

さいごに

人生を生きるというのは、誰かから与えられた問題を解く行為とは違う。正解も不正解もない。ただ、より良く生きれたらその方が快適というだけだ。「答え」があらかじめあるものでもない。

だから、先に「答え」を見つけようとするとややこしくなる。あるいは明確な「答え」が存在すると信じ込むとどこかで行き詰まる。

次は、とある雑誌で桜井章一さんがインタビューの中で言っておられた言葉だ。

目先の結果よりもプロセスを重視して、自分が正しいと思う方向へ進むことです。最近の若いビジネスマンには組織やチームに属していなければ不安という人が多いが、その枠組みが本当に正しいものなのかと、時には自問自答してみることも必要だと思います。

目先の結果ばかり気にしたり、あるいは「自分が正しいと思う方向」をことごとく無視したりすると、最終的につらいことになる。

「結果」は運に大きく影響される。人生は定型処理できないものだ。

「自分が正しいと思う方向」にさえ進んでいれば目先の結果には振り回されないようになる。すくなくとも納得感を持って生きていけるだろう。

ここで、「私の『自分が正しいと思う方向』ってどっちですか?」という質問をしたくなった方は、この文章を最初からもう一度お読みになる事をオススメする。

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2件のコメント

  1. 非常に面白い記事を読ませていただきました。

    私は何かを始める時は「結果の予測」「具体的行動」「結果の検証」
    「検証を基に修正を加え次の行動へ」というように考えながら活動しています。
    それは催眠術師としてだけではなく、全てにおいてです。

    ですが、こういった行動するための思考の部分を
    他人任せにしている人が多いような気がします。

    自己啓発系の書籍が売れている現状と、この記事を
    読んでそう感じざるを得ないというか…。

  2. >催眠術師さん
    コメントありがとうございます。

    そういう事を自分で考えましょう、という「教育」がなされていない状況があるのではないかと思います。なんでもかんでも手取り足取り教えてくれる人がいると、そういう状況に陥りがちな気がします。

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