物書き生活と道具箱

言葉が切り分ける世界と、それを変える小さな習慣

「Lifehacking.jp」さんに次のようなエントリーが上がっていました。

[Lifehack Begin] 第8の習慣:自分を変えるために言葉を変える

それでも長い間に身についた怒りっぽい身のこなし方はすぐには変えることができませんでした。そこで考えついたのが、使う言葉を選び取るという方法でした。

言葉遣いに気をつける、という事は自己啓発の中でもよく語られていることです。実際、私もいくつかの言葉は「選び取らない」ようにしています。例えば「嫌い」「時間がない」「○○する才能が無い」といった表現は意識的に使わないようにしています。

ちなみに、これらは

  • 「嫌い」→「あまり好きではない」「いまのところ好きではない」
  • 「時間が無い」→「やることが多い」「可処分時間が少ない」
  • 「○○する才能が無い」→「慣れていない」「練習不足・経験不足」

こんな感じの言い換えになります。

これは言霊うんぬんといった話ではなく、言葉が持つ性質と認識の科学を合わせてみれば、ごくごく当たり前の話です。「言葉を選ぶ」事には十分意味があります。

心像を固定化する言葉

人間の「わかる」という心の動きをわかりやすく解説した山鳥重氏の『「わかる」とはどういうことか』には、「名前」には心の中のイメージを固定する働きがある、と紹介されています。

名前にはこの掴まえがたい記憶心像を掴まえる働きがあります。それ自体では不安定ですが、名前によって心像が安定するのです。

例えば、「赤」という言葉を聞けば、私たちの心理的イメージで「赤」と認識されているあの色が思い浮かびます。もし、色に名前が無ければ、私たちが感じている心理的イメージはうまくまとまりません。

イヌイット語には雪を表す言葉がたくさんある、という話は有名ですが、「色」についても言語ごとで差異があります。

私たちは名前の付いていない「色」をうまく認識することができません。例えば、「オレンジ」という色の名前がその言語になければ、私たちが「オレンジ」として感じるあの色は「赤」か「黄色」に分類されることになります。言葉上分類されるだけでなく、その色のように感じるという事です。

私たちは日常的に「オレンジ」を認識しているので、それを認識しない人々がいる、というのは若干想像しにくいかもしれません。しかし、イヌイット語圏の人々から見れば私たちは雪というのをかなり大雑把に認識していることになります。それと同じです。

私たちの内側に起こる、心理的イメージと対応する形で、言葉(名前)というものがついています。言い換えれば、「名前」という存在が私たちが感じる世界を切り分けているのです。

言葉がもたらすバイアス

ここで一つ問題が立ち上がってきます。

それは、「私たちが感じる世界」を切り分けるために言葉があるのか、それとも先に存在している言葉に引っ張られるように世界が切り分けられるのか、という事です。イヌイット語の例でいえば、その言葉を使う人々が雪に対して繊細な感覚を持っているから、それに合わせて言葉が生まれたのか、それともそういう言葉があるから、それに合わせて繊細な感覚が磨かれているのか、という事です。

このあたりについては今井むつみさんの『ことばと思考』が詳しいです。この本で紹介されている事例は面白いものが多いのですが、その中でも子ども思考の発達と言語の関係を紹介した事例は、今回のテーマに関係するでしょう。

詳細な部分は割愛しますが、まとめとして次のように今井さんは書かれています。

言語が子どもにもたらすものは、単にコミュニケーションの手段にとどまらない。子どもは言語を学ぶことで、それまでと違った認識を得る手段を得、思考の手段を得るのだ。

例えば、日本人は英語のlとrの発音の違いが分からないと言われています。しかし、それは人種とか遺伝子の話ではありません。日本語という言葉を覚えるまでの幼児は、例え「日本人」であっても、その両者を聞き分ける事ができるそうです。ただ、日本語という言葉の中で必要無いから、それが徐々に「無かったこと」にされるだけです。

あるいは助数詞の例があります。私たちはネコを数えるときは、一匹と表現し、ゾウを数えるときは一頭と表現します。おそらく、特に何も考えずにその表現が出てくるでしょう。逆に、外国人に匹と頭の違いを説明しろと言われたら、困るかもしれません。

この事は、状況を想像させます。例えば自分が知らない未知の動物Xというものがいたとして、「Xが一匹いる」と「Xが一頭いる」では、私たちが勝手にイメージするその未知の動物のサイズは違うはずです。つまり付いている助数詞にイメージが引っ張られているわけです。しかし英語では「a X」となって、大きさまでのイメージは湧いてきません。

私たちは、使っている言語のバイアスを受けて世界を見ています(感じています)。言い換えれば、言葉のフィルターを通して世界を認識しているわけです。先に挙げた疑問で言えば、「私たちが感じる世界を切り分けるために言葉は存在しているが、一度生まれた言葉は後からの認識にも影響を及ぼす」というのが答えになります。

言葉によるラベリング

私たちが何かを認識するのは、「それ」が「他と違う」からです。差が見つけられなければ「それ」と認識することはできません。差が見つけられることで初めて「それ」に名前を付けることができます。一度名前が付いたものは、次からは容易に差が見つけられるようになり、認識されやすくなります。

これは車マニアの人と、一般の人を比べてみればよくわかるでしょう。詳しい人は様々な車種を見分ける事ができます。その背景にはさまざまな知識があるのでしょう。車に疎い人であれば、ワゴンでもセダンでも軽トラでも全て「車」です。すくなくともそれで生活に困ることは無いないでしょう。そういった人でも一度「あれはワゴンというタイプの車で・・・」と説明されれば、後ろの背景知識がなくても、次から車を見分けることができるようになります。

こういった、便利な機能を持つ「言葉」なのですが、人間の認知バイアスと同様に問題が無いわけではありません。例えば、ものすごく犬に似ているけれども、なんかちょっと違う、と感じた動物がいたとして、「面倒だから犬でいっか」と処理してしまえば、次からその動物は「犬」のままです。その犬っぽい動物が犬とどう違うのかについて考えなくなります。

逆に、その犬っぽいものがを誰かに紹介されたとき、「これは犬です」と言われれば、犬との差異に気がつかなくなる、という問題もありそうです。

どちらも言葉によるラベリングが引き起こすバイアスです。言葉という世界の切り分け、つまりフレームワークを受け入れてしまえば、それ以上の思考が停止してしまうという恐れがあるわけです。

言葉使いと、認識、そして行動や思考

さて、言葉と認識についていくつか考えてみました。

言葉(名前)には二つの側面があります。
一つは、世界を切り分けるためのもの。「分ける」は「分かる」につながりますので、私たちの世界に対する認識を生み出すものが言葉の存在です。

もう一つは、それらを固定化させる機能です。言葉は思考を進める上で重要なツールですが、逆に思考を省略するためにも使われます。つまりナイフではなくトルテカッターのような役割をすることもある、という事です。トルテカッターを使っていれば、毎回同じようにケーキを均等分できます。便利なツールです。しかし、それ以外の切り方が出来なくなってしまう、というのはやや柔軟性に欠けます。

私たちの使う言葉と、私たちの認識というのは、別物ではありません。まったく同じではないにしろ、それは影響を与え合っているものです。言葉遣いに注意すべきなのも、そのためです。私たちは使っている言葉にすくなからずのバイアスを受けて、思考や認識が変わってしまうのです。

例えば、「嫌い」と断定してしまえば、嫌い以外の要素は認知から省かれるでしょう。
しかし、「あまり好きではない」「いまのところ好きではない」という留保ならば、好きなところを一つでも探そうという気になるかもしれません。

「時間が無い」であれば、一日が28時間になる怪しげなグッズを買うか、あるいは増やせないものなんだから、諦めるという思考しか導き出せません。

これが、「やることが多い」「可処分時間が少ない」であれば、現実的にアクションがとれます。やることを減らすか、可処分時間を多くするように調整すればよいわけです。

「○○する才能が無い」も同様です。この言葉は何かを諦めるときには非常に重宝しますが、単に言い訳になっている事も多々あります。すくなくとも、この言葉遣いから練習しよう、鍛錬しようという発想は出てこないでしょう。

さいごに

総じて言えば、日常の言葉遣いを変えるという事には二つの意味合いがあります。

一つは、自分が受け入れる世界を変えること
もう一つは、その受け入れた世界から自分が取る行動を変えること

私はよく、行動を起こす際に「イメージを先行させる」という表現を使いますが、この場合は「言葉を先行させて」、変革を起こすという事になるでしょうか。

でもって、これはやってみると案外難しいものです。言葉遣いというのは日常的に染みついてしまっているものなので、意識的に行わないとついつい「昔言葉」が口からこぼれてしまいます。

例えば、今日一日感謝の言葉を述べるべき場面で、「すいません」と言ってしまっているのを「ありがとう」と言い換える、というのを試してみるとよいでしょう。その難しさに気づかれるはずです。

言葉遣いを変えるというのも、「習慣」を変えることと言えます。もし、変えたい言葉遣いがあるならば、一つ一つ慎重に進めたほうがよいでしょう。一気にやろうとすると、途中で破綻します。その辺も「習慣」と同じですね。

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▼編集後記:
この「[Lifehack Begin] 第○の習慣」シリーズは、個人的にお気に入りの企画で、当R-styleでもパクリ企画を計画中です。

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