本の紹介

書評 「キュレーションの時代」(佐々木俊尚)

この「秘密のおすそ分け」を頂いたのは、ちょっとしたネット上の「つながり」からです。経路は書きませんが、佐々木さんと仲良しの方から、何人かの人を経て「新刊原稿データ」をおすそ分けいただきました。メール経由でパスワード保護されたPDFとパスワードを献本として入手できるというのは、なかなか凄い時代です。
※Evernoteはこういう時本当に便利です。PDFのノートにパスワードを合わせて記入できますから。

こういう「バケツリレー」的に贈り物が回ってきた場合、誰に向かってお礼を言うべきなのか難しいところです。とりあえず代表して佐々木俊尚さんに感謝の言葉を述べておき、あとはネットというつながりを生み出すものの力に驚嘆し、自分なりに何か貢献することで、その返礼としておきます。

概要

本書は、「キュレーション」の本です。つまり、キュレーションについて書かれた本であり、キュレーションのスタイルで書かれた本でもあります。

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書 887)
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書 887) 佐々木 俊尚

筑摩書房 2011-02-09
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内容を一言でまとめれば、マス幻想が終演した時代のその先に広がる「未来予想図」、となるでしょうか。ほぼ肯定的な視点で、マスメディアが衰退した社会で次に起こるであろう現象が「すでに起きている現実」を基盤にして語られています。

具体的な事例から始まり、すこしずつ抽象化の階段を上がるスタイルで書かれているので周辺知識が無い人でも理解しやすい内容といえるでしょう。

著者が2010年に書き下ろした『電子書籍の衝撃』はITが社会に与える影響という視点で読めたのに対して、こちらはもうすこし社会学的な視点が強くなっています。章立ては以下の通り。

  • 第一章 無数のビオトープが生まれている
  • 第二章 背伸び記号消費の終焉
  • 第三章 「視座にチェックインする」という新たなパラダイム
  • 第四章 キュレーションの時代
  • 第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく

作り出す人、見いだす人

まず、はっとさせられたのが「はじめに」で紹介されている、ジョゼフ・ヨキアムの次の言葉です。

「わたしが書いた絵に価値があるなんて、まったく想像もしてなかったよ」

彼は、ジョン・ホップグッドという「キュレーター」に見いだされるまでは好き勝手に絵を書いていただけでした。ここでこうしてBlogを更新している私も、ほとんど同じ感覚を持っています。自分が書いた文章が本になっている、という事すら未だに少し違和感があります。しかし、それは現実です。

社会的に一定の立場にいる人を「認められている」なんて表現しますが、よくよく考えれば「認められる」ためには、誰かに「見てもらう」必要があります。どのような優れた芸術家が書いた作品でも、誰の目にも触れなければ価値を持ちません。逆に名の知れた作家が書いたものならば、習作ですら一定の価値を持ちます。

つまり、コンテンツを作り出す人と、それを見る人(見たい人)の両者が存在して始めてコンテンツがコンテンツたり得るというわけです。

マスがビック・ブラザーのように機能していた時代では、「見る人」につながるためにはマスメディアがもっとも有効な手段でした。ほとんどそれしかないといっても過言ではない状況だったのではないかと思います。

しかし、現代ではその構造に大きな変化が生まれています。一つの変化はマスメディアにつながっている人々が減少してきていること。もう一つはビオトープが生まれつつあることです。この二つの変化によってビック・ブラザーの魔力は減少し続けています。

ビオトープは「情報を求める人が存在している場所」と本書内では定義されています。もちろんそれは、物理的な場所を指しているわけではなく、情報を求める人々のメディアとのつながり方やクラスタ構造の事です。ビオトープについては本書を直接当たってもらうとして、あるコンテンツが価値を持ち得るのは、それが適切なビオトープで認知された時、というのは認識しておいた方がよいでしょう。

つまりキュレーターというのは、コンテンツクリエーターが生み出したものに「価値」を見いだし、それをフォローする人々に届ける役割を担っている人、と言えると思います。

つながり消費とモノガタリ

第二章では「背伸び記号消費」が終わりをつげて、「機能」「つながり」消費に二極化されるだろうと指摘されています。この「つながり」消費は鈴木健介氏の『わたしたち消費』に通じるものがあるでしょう。

この章の中で「モノ」から「モノガタリ」への変化について少し触れられていましたが、このあたりをもう少し突っ込んで欲しかったなという印象があります。おそらく現代ほど「モノガタリ」が強い意味を持ち、そして求められている時代もないのではないでしょうか。

村上春樹氏が『アンダーグラウンド』について書かれた文章で次のように述べられています。

ご存じのように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一銭を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。しかしオウム真理教に惹かれた人々には、その大事な一線をうまくあぶりだすことができなかったようだ。つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。

「モノガタリ」が人に強い作用を及ぼすことは確かだと思います。当然良い面もあれば悪い面もあるでしょう。自分でモノガタリをすること、他人のモノガタリに触れること、この二つは人の精神の在り方に変化を及ぼすものだと思います。

新しい関係性の力学

第三章ではエンゲージメントについて書かれていました。持続的な関係、主役一体、これらの関係性がもたらすものも大きいでしょう。

特に持続的な関係は強い意味を持っています。それは、一回きりの「囚人のジレンマ」ゲームと継続的なそれとを比べてみればよいでしょう。この二つではあきらかに「有利な戦略」が違っています。これからは後者の方を意識していく必要があるということです。

キーワードは、「共感」と「信頼」になるでしょう。

このあたりは『安心社会から信頼社会へ』あたりが参考になると思います。

キュレーションの多様性

正直なところ、この本に目を通すまでは「キュレーション」にやや懐疑的な印象をもっていました。要するにそれはコンテンツが持つコンテキストを細分化し、切り取り、別のコンテキストの元に組み立てる作業ではないのか。そんな事をすれば、もともとのコンテンツが持っていたコンテキストが一切無視されるようになるのではないか、と。

おそらくそれは、iTunesで音楽を聞いている感覚から来ているのだと思います。つまり、一つの曲がアルバムから切り取られ、適当なプレイリストに組み込まれることで、アルバムの中の順番が無視されるにとどまらず、もっと大きな意味で、そのアーティストが継続的にどのようなメッセージを発信し、その人の歴史的背景はどのようなものだったのか、という文脈すら失われてしまうのではないか、という危惧感です。

ボブ・ディランの音楽と1960年代のアメリカ文化、Jazzと黒人の歴史、こういったものについてまったく想像もせずに音楽を聴くっていうのは、どうなんだろうか、それが新しい形の音楽を聴く、ということなんだろうか。

そんな印象を持っていたわけです。

しかしながら、そういう発想自体が偏見にすぎないな、という事に気がつきました。背景知識を知った上で、より深く音楽を楽しむ。直感的に、好みの音楽を聴く。人それぞれに楽しみ方があり、そこにはコレクトは存在しません。

絵画を鑑賞する際に「こちらからご鑑賞ください」なんてバミってあったら興ざめするように、鑑賞の仕方も人それぞれのスタイルがあるからこそ、芸術の価値に多様性がうまれるわけです。

つまりは、キュレーションの形もまた多様だということです。元々のコンテンツが持つコンテキストを切り刻んで別のコンテキストの下に切り貼りするのも、元々のコンテキストに別の側面を与えたり、埋もれていた価値に深い意味を見いだすのも、同様にキュレーションです。そこに正誤や優劣があるわけではなく、そういう情報が欲しい人のもとに、そういう情報が届けられる、ただそれだけのことなのだ、と気がつきました。

そう考えると、重要なのは「自分が望む情報を送ってくれるキュレーターとつながる」ことでしょう。そしてできれば、単に「フォローする人々」になるのではなく、自らもキュレーションを意識していく、というのも必要かもしれません。自らのキュレーション行為は、つながりの幅を広げます。それはビオトープを豊かにする行為であり、新しい可能性をうみだす行為であるとも言えます。

さいごに

佐々木氏が指摘するように、これからもっとキュレーションの価値は上がってくるでしょう。Googleだけが「情報秩序の番人」ではマスメディア時代となんら構造はかわりません。

情報を収集し、選り分け、一定の価値観の下でそこに秩序を与える。単にキーワードを拾って垂れ流すだけのbotとは一線を画した存在になること。ある意味では、それも「表現」の一つです。そしてその表現が人間が人間であることを示す材料になるのではないか、と『人間はガジェットではない』なんかを読んでいても感じます。

思考や表現は面倒なので、それを避けていれば「楽」に生きれるでしょう。しかし、ウィンストン・スミスの人生について思いを巡らせれば、憂鬱な気分にならざる得ません。

キュレーションの時代では、自分がどのような情報と接し、どのように情報を発信するのかが切実に問われると思います。それは俯瞰してみれば、どのように生きるのかにまでつながってくる問いでもあるでしょう。

本書は今より少し先の社会の姿を描こうとしています。そして、「その世界であなたはどのように生きるのか」という問いも同時に投げている印象も受けました。

「その世界であなたはどのように生きるのか」。なかなか難しい問いです。皆様はその答えをお持ちでしょうか。

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3件のコメント

  1. IT初心者です。

    是非、そのような社会に進んでいくことを期待しています!

  2. >坂口 友馬 さん
    徐々に、もうそういう方向に進んでいる兆候はあります。あとはスピード感の問題ですね。

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