毎日;女子高生監禁:逃亡図られ手錠を購入 逮捕の大阪・露天商
大阪府茨木市の女子高生(17)が手錠を掛けられ約3週間監禁された事件で、奈良県警奈良署に監禁容疑で逮捕された大阪府堺市三宝町2丁、露天商手伝い、川本隆之容疑者(29)が「手錠は4月末に大阪市内で買った」と供述していることが分かった。同署の調べで、監禁後、女子高生は何度か逃げようとしていたことが判明。このため、逃亡を阻止する目的で川本容疑者が手錠を購入したとみている。
何か涙がでそうなくらい似たような事件が続けて起きている。
ニュースの映像をチラッと見ていたが、JR奈良駅前というすごく見慣れたスポットなのでよりいっそうの驚きであった。
大手地方銀行と、大手食品スーパーの前の通りには確かによく露天が出ていて、ドライフルーツなどを販売している。
この事件と、つい最近発覚した、小林容疑者による監禁事件とは似た点、異なった点がいくつかある。
異なった点は、両者の経済状況であり、似た点は知り合ったのがネットを介してという点だ。また両者が二十代の男性という点も一致している。
これからいったいどのような事がわかるのか。まあ何もわからない、というのが本当だが少しでも何か考えてみたい。
他人を(特に異性を)監禁したいという、あるいは監禁しなければいけないというような欲求や観念はどこから生まれてくるのか。
たとえば、おもちゃを欲しがる子供がひたすら駄々をこねるように、自らの欲求をかなえるために暴力を使うしか方法がないということがあると思う。
もう少し突っ込んでいれば、現実の人間と対等に関係することができない、あるいはそのような経験が圧倒的にすくないということが言えるだろう。
どちらにしろ、社会的人間として成熟されていないということになる。
何かTVのメディアなどを見ていると、アナキンがダークサイドに堕ちて行くように、他人を監禁したり暴力を振るったりしているような容疑者のイメージが伝えられているが、基本的に稚拙というか経験値が圧倒的に不足している、というのが問題の根本にあるのではないか、と思う。
それは、社会的な共同体の崩壊ということに起因しているわけだが、日本が経済成長を遂げていくなかでその崩壊を止めるすべはなかったように思う。ただそれに変わる何かを作り出せなかった、ということであろう。
と、すればゲームやアニメを規制して言ったところでこのような事件が根本的になくなることはない。
学校での情緒教育をといってしまえば簡単だ。どっかのコラムニスト見たいに道徳の学科を復活せよと言うのも簡単である。が、そんなに単純なものだと思えない。
個人というのが社会的に細分化され、それがネット社会で居場所を持ち出す場合、現実の社会構造というのも必然的に変化を強いられる。法律や制度はかならず現実の後から付いてくるものである。
結局、現場に立つ人間ができうることをやっていくしかない。
おそらくこの事件は、メディアで大きく取り扱われることはないだろう。関西だからということではなく、メディアが好む「話題性」がもうそれほどないからだ。はっきり言って前回の事件よりは「ネタ」になる要素はない。
だが、これからも同様の事件が発覚していく可能性はある。そしておそらくその容疑者は20代から30代にかけての男性であろうと私は推測する。
そこにはその年代に共通する、時代によってもたらされた欠落感が存在するように思う。それについてはまた別の記事で書くことにする。
結果的にこれらの事件を見て、私に娘がいたとしたら、子供を守る方法としては「知らない人についって言ってはいけないよ」とか「出会い系のサイトには手を出すな」というごくごく現実的で大して効果のないことを言うしかない。
しかし、それがどんなに効果のないことだとしても、あるいはうざがられても、言い続けることしかできないのではないか、そんな風に思う。
マスコミは在日朝鮮人の事件では通名に加え本名も報道すべき
在日朝鮮、韓国人は、日帝により名前を奪われ耐えがたい屈辱と被害を与えられたということをしばしば口にするようである。左記画像は、自民政調会長(元)の「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」との発言に対..