教育・学校をめぐる問題で、不登校児の数が増えているというものがある。
文科省も強制的に子供を学校に行かせることはできない。
行きたくないやつはいくな、というのは良いとしても、勉強はしたいけれども「学校」というものはいやだ、という子供たちもいる。
文科省:フリースクールも学校 不登校児、就学義務見直し(毎日)
文部科学省は19日、義務教育の就学先を学校に限定している現行制度を見直し、不登校の児童・生徒がフリースクールなどで学んだ場合でも、一定の条件を満たせば、就学義務を履行したとみなす検討を始めた。同日の中央教育審議会義務教育特別部会で、審議経過報告に盛り込まれることが固まった。実現すれば、フリースクールが実質的に「学校」として認められることになる。
この方向性自体は悪くないように思える。選択肢を広く、というやつだ。
「不登校」を理由として、年間30日以上欠席した児童・生徒数は03年度現在、小学生が2万4077人、中学生が10万2149人の計12万6226人。10年前の約2倍の水準で、そのほとんどが、全国に約1100カ所ある教育支援センター(適応指導教室)やNPO法人などのフリースクールに通っているとされる。
少子化が進み、かつ不登校児が増え続ければ学校というものが機能しなくなる事だってあながちないともいえない。文科省も指をくわえて見ているわけにもいかないので、結局こういった対応をとらざる得ない、ということかもしれない。
文科省は、「(保護者は)小中学校に就学させる義務がある」と定める学校教育法を根拠に、就学義務の履行は学校に限るとの原則を崩さなかった。特例措置として、構造改革特区でNPO法人立学校の設置が認められているが、不登校の児童・生徒の場合、小中学校に籍を置きながら、学校長が認めた場合に限って、教育支援センターやフリースクールなどに通った事実を「出席扱い」として認め、卒業させているのが実態だ。
しかしながら、実態としてはフリースクールなどに通った事実を卒業として扱っているのだからそこに問題があるのかどうかわからない。
ただ、文科省自身がフリースクールの方針などに関与できないという事態をあまり面白く思っていないということはあると思う。
「これは俺の領域だ」
文科省は今年度から、不登校の児童・生徒向けの学習カリキュラムや指導方法の開発を目的に、実際に現場で教育にあたっているフリースクールなど約15団体に約1億円を支出し、研究委託を始めた。今月には、文科省と不登校児童・生徒の受け入れを行っているNPO関係者との懇談会を初めて開いた。今回の「方針転換」はそうした流れの延長線上にあるとみられる。
文科省がお金を回すことによって、フリースクールへの権限を持つようになってしまえば、今まで学校でなかったものが「学校化」していくのではないだろうか。
それではなんら解決にはなっていない。
しかしながら、お金を回しながら何の権限や規制を持たないのならば、適当に予算だけもらうような施設もでてくるかもしれない。
フリースクールの実態についてはまったく知識がないが、ぎちぎちに縛られた「学校」というものを子供たちが拒否し、フリースクールへ通っているとするならば、そこを「学校化」してしまうことは避けたほうが良いだろう。
結局のところ、文科省は学校という機構を通じてしか子供たちと関係性を持つことはできない。そういう意味で、文科省は学校の問題ばかりに目が行き過ぎて、直接的に子供たちのことを考えてこなかったのでないだろうか。
それが、徐々に表面化してきているような気がする。この問題で、子供のための教育というものはいったいどういうものであるべきなのか、国家は子供とどうかかわっていくべきなのか、という議論が必要になってくると思う。
なんだか色々と複雑化してきて、生きにくい世の中になってきたような気がします。
豊かになると、人間は複雑な世界で生きるという更なる難関を乗り越えなくてはならないのですね。。。
文科省が乗り出し、学校として認めるのはのは一向に結構な事ですが、従来のように生徒の束縛性の高い世界――簡単に言えば『家と学校と塾でしか社会を感じられない』そんな、世界観が狭くなるような場であって欲しくは在りませんね。
>hichako.kさん
いまさら農耕時代の単純な世界に戻ることは不可能ですから、この世界とうまく共存していかないといけないっていうのは確かですね。
>西院灯火さん
本当にそうです。そういう意味でも広い視野を文科省がもっているかどうか、というのがポイントなんですが。