ブログ「ライフハック心理学」さんで、脳の中の「ロボット」についての記事が上がっていました。興味深い点があったので少し引用してみます。
誰も生まれつき、自転車の運転はできません。でも、練習すれば、ほとんどの人が、自転車に乗れるようになります。これを可能にする「装置」
を、「自転車に乗るためのロボット」とするのです。もちろん私も持ってます。
人間が能力・スキルを身につけていくための機能、これが「ロボット」です。そのロボットが高度になればなるほど、私たちの意識はこの行為から「疎外」されはじめます。
ですが、そうするうちに、「現実」に関わるのは「ロボット」になっていき、「ロボット」はあなたが「現実」に注意を振り向けなくてもいいようにします。最初のうちには、「気を入れて」取り組まないと、すぐに死んでしまう難しいテレビ・ゲームも、軽くこなせるようになれば、つまらないものになっていきます。この現象が生活の大半を覆うようになったとき、「人生が灰色」に見えてくるのです。
レベル上げの最中は楽しくても、一度雑魚キャラだけでなくボスキャラでさえも蹂躙できるレベルになってしまえばとたんに「無意味」に思えてくる。こういう現象を体感された方は多いのではないでしょうか。新しいシステムを覚える__つまりそれに順応するまでは楽しくても、一度順応仕切ってしまうと新鮮味がなくなり、「飽きて」くる。
私たちの脳内に「ロボット」があるからそこ、何かを習得し、意識を振り分けることなくその動作をこなすことができる。これは大変便利な存在です。もし、私が「えっ〜と、Tのボタンってどこにあったっけな〜」なんてキーボードとにらめっこしていては、このBlogはいつまでたっても更新されません。
しかし、完全に順応してしまうと、その行為そのものに対する楽しみは減少してしまいます。これが、例えば「自転車の運転」とか「キーボードのタイプ」ならば何一つ問題はありません。日常生活を送る上で、それに「飽きて」しまったとしても不都合は生じないでしょう。
やる必要があることは、飽きていてもやるはずです。
でも、「仕事」はどうでしょうか。
「仕事」とそれ以外の行動の一番の違いは「時間」です。一日の三分の一程度、一週間のうちの7分の5程度、そういった時間が仕事に費やされるわけです。それは否応なしに私たちに「飽き」を迫ってきます。
もちろん、飽きていたとしても生活していく上で必要なわけですから仕事はできるでしょう。しかし、一日の大半の時間を飽きていることに使うのはかなり苦痛だと思います。そういうのはあんまり楽しくありません。
さらにこれを拡大してみると、「生きること」に飽きを覚えてしまうことも考えられます。こうなると、袋小路です。
主体性と変化
上の話を逆から眺めれば「飽きないためには、慣れないようにすればいい」という考えが出てきます。そして、これはとてもシンプルで強力な教訓にみえます。
では、「慣れないように」するためにはどうすればよいでしょうか。おそらく「主体性を持って、変化を求めていく」というのが答えになるのではないかと思います。
人間の能力の優れた点は「適応能力の高さ」です。であれば、現状に満足し、同じ事を繰り返すだけでは「飽き」が到来するのを食い止めることはできないでしょう。今とは違う何かを求めるからこそ、常にロボットのOSがバージョンアップしてくわけです。
『仕事は楽しいかね?』の中でマックス翁は次のように述べています。
「本当の達成というのは、あるべき状態より良くあることなんだ。ただ良いだけじゃなく、目を見張るようなものであること。マジックだね」
『プロフェッショナルの条件』の中でドラッカーは
だが私は、そのときそこで、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決心した。そのとき、いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこうと決心した。
と書いています。これは組織におけるイノベーションが生まれた瞬間からそれを「体系的に廃棄する」という考え方にも通じる所があるでしょう。
『究極の鍛錬』では、
達人と素人の違いは特定の専門分野で一生上達するために、考え抜いた努力をどれだけ行ったかの違いなのである。
と書かれています。ポイントは努力ではなく「考え抜いた努力」です。
『七つの習慣』では、
自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要なのだ。
ともあります。まったく同じ環境に身を置いていても飽きる人と飽きない人の差というのは、環境ではなくその人の反応の違い、ということなんでしょう。
村上春樹さんは、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』の中で、
長編だろうが、短編だろうが、まず第一に、書く事が楽しくなければ小説なんて書けません。だから僕がまずいちばんに考えるのは、書くのが楽しいという状況に、できるだけ自分を置き続けるということですね。
「書くのが楽しいという状況に自分を置く」というのは、一見反応的に見えながら、主体的な行為です。同じようにタスクの進め方で散見される「機械的に仕事を処理したい」という欲求も、実は主体的な行為です。ほんとうの機械は「機械的に仕事を処理したい」とは考えません。
インスピレーションのままに引用しましたが、状況に流されていようが状況をコントロールしていようが、その内側に主体があるのかどうか、さらに何かしらの変化を求めているのかどうかというのが、継続していく上で重要な気がします。
さいごに
一人の人間が何かしらの成果を出そうと思えば、そこには継続が欠かせない要素になります。
ずっと何かを継続している人というのは、たぶん周りからみると同じことをしているように見えながら、何かしら新しいチャレンジをしているのだと思います。あるいは、その人が見ている世界が少しずつ変化してきていて、そのことが「飽き」を生まない要素になっているのかもしれません。
一見妙な組み合わせにみえますが、「継続」と「変化」というのはセットにして考えたほうがよいのではないか、そんな気がします。
▼こんな一冊も:
仕事は楽しいかね? |
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デイル ドーテン Dale Dauten
きこ書房 2001-12 |
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編)) |
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P・F. ドラッカー Peter F. Drucker
ダイヤモンド社 2000-07 |
究極の鍛錬 |
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ジョフ・コルヴァン 米田 隆
サンマーク出版 2010-04-30 |
7つの習慣―成功には原則があった! |
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スティーブン・R. コヴィー ジェームス スキナー Stephen R. Covey
キングベアー出版 1996-12 |
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです |
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村上 春樹
文藝春秋 2010-09-29 |
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