不思議な邂逅

不思議な邂逅というのは、よくある。まあ邂逅なんて予想外のものを示すわけだから頭に「不思議な」を付けるのは蛇足かもしれない。ともかく、そういう邂逅は本棚でよく発生する。

本棚に並んでいる背表紙をざっと眺めて、何の気なしに一冊の本を手に取る。何かを期待したわけではない。ただなんとなく読みたくなっただけだ。すると、まるで待ち構えていたかのように、自分の今のシチュエーションにあった文章に出くわす。

こんなものは単なる「たまたま」の産物でしかない。そう考えることもできる。しかし、「たまたま」出会ったとしても、自分の助けになっていることは確かだ。自宅に本を大量に抱えていることは、こういう「たまたま」の遭遇率を上げてくれるのかもしれない。

昨日も村上春樹の『やがて悲しき外国語』という本を手に取った。なんとなくエッセイの文章に触れたかったのだ。そこで次のような文章に遭遇した。

 でも、僕も今度日本に落ち着いたら、何か自分にできることを身近に探してみようという気にはなっている。これはヴォランティアとか社会活動みたいなことをするから偉くて、しないから駄目ということではない。

これは、スコット・フィッツジェラルドの孫にあたる人の家に招待されたときの事が書かれたエッセイの中で出てくる。日常生活の中で、地元の環境を守るための活動をしているその人たちの姿をみて考えたこと、という文脈で書かれている。

文章はこう続く。

いちばんの問題は「自分にとって何ができるか、自分は何をしたいのか」というのを見つけることだと思う。別の言葉で言い換えれば、どこまで自分の疑問を小さく具体的にしぼり込んでいけるかということになるかもしれない。

つまり、「一般的に」とか「人として」という文脈ではなくあくまで「自分は」という視点から状況を眺めて、実際にとれる行動を考えてみるということだ。「自分にとって何ができるか、自分は何をしたいのか」という具体的な行動について考えるということは、__実際にやってみるとわかるが__自分について考えることでもある。

自分という存在、自分が所属しているもの、自分が持っているもの、自分の方向性や価値観、について考えておかないと、先ほどの自問に対する答えは出せない。

これはとても大切なことのように思える。特に、ソーシャルメディアという「個人」が中心になるツールが情報のメインフレームになる時代ではその重要性は増している気がする。これは今後大きなテーマになっていくだろう。

とりあえず、こういう邂逅があるからこそ家の本棚に本を並べておくのは楽しい、というのがこの記事の言いたいことである。ほんとに言いたいだけだが。

▼こんな一冊も:

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)
やがて哀しき外国語 (講談社文庫) 村上 春樹

講談社 1997-02-14
売り上げランキング : 43024

Amazonで詳しく見る by G-Tools

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか ナシーム・ニコラス・タレブ 望月 衛

ダイヤモンド社 2008-02-01
売り上げランキング : 21071

Amazonで詳しく見る by G-Tools

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書) 佐々木 俊尚

筑摩書房 2011-02-09
売り上げランキング : 66

Amazonで詳しく見る by G-Tools

Related Posts with Thumbnails
Send to Kindle
Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です