4-僕らの生存戦略

整理とキュレーション

今日は、iPad2の事が頭から離れないので、とりとめないエントリーでも。

最近連載が始まったFind the meaning fo my lifeさんの「【連載:うつ病患者の仕事術】」の段三回で、「整理」が取り上げられていました。

【連載3:うつ病患者の仕事術】半径50cmの不安を整理する

まず必要なもの全てを書き出して、使用頻度と使う動作を考えて収納場所を決めていって初めて、あるべき場所に必要なものがあるという環境を作ることができます。

とてもシンプルですが、整理についての基本的なエッセンスが詰まっていると思います。

整理について

整理の理というのはことわり、つまり「ルール」ですが、ルールを見いだすためには「あるべき場所とはどこか」、「必要なものとは何か」を考える必要があります。それなしで、適当な場所に物を直すのは単なる整頓です。整理と整頓の違いは、このルールのあるなしに潜んでいると思います。

例えば、私のデスクの上のペン差しには「ハサミ」はささっていますが、「ステイプラー」は引き出しの中に入っています。大きめのペン差しがあると、入る分だけそこに突っ込みたくなりますが、私の場合「ステイプラ−」はほとんど使いません。紙をまとめる場合はクリアファイルを使っています。大抵の紙書類がスキャンの対象になっているので、ステイプラーというのは昔に比べて使用頻度が激減している状態です。

でも、昔の名残で机の上を「整理」すると、ついついステイプラーもペン差しにさしたくなるわけです。「ほとんど使わない」ということは、たまには使う機会があるということです。そういう時に、ペン差しに置いてあれば確かに「便利」です。しかし、こうして対象を広げていくとなんでもかんでもそこに置きたくなります。ペン差しはまだ物理的キャパが小さいので、自然と限界が来てチョイスすることが要求されますが、書類入れとか机の引き出しになってくると、「別にそこにある必然性が強くない」ものまで混じってくることはよくあるパターンです。

ルールの必要性

たぶん、部屋が散らかってしまう人も、「片付けても、どうせまた取り出すし」的な発想をお持ちの方が多いのかも知れません。確かに、いつかどこかの時点で再び使用する機会は巡ってくるでしょう。それ自体は合理的な発想です。しかし、モノA、モノB、モノC、モノD…に対してその考え方をどんどん対応させていけば、部屋の中は「どこに何があるかわからない」状態になってしまいます。こうなってくると「整理」されている状態とは言い難いでしょう。

ある程度機能的に運用しようと思えば、どこかしらで、なにかしらの、線引きが必要になるということです。その線引きがルールになります。

毎日使うツールと、二ヶ月に一回使うツールを同じ場所に直しておくというのはあまり機能的ではありません。どんなシチュエーションで、どんな風に使われるか、という視点をもってモノの配置を決めていく必要があるわけです。そのものがどんな形をしているのかや、どういうカテゴリーなのかは対して意味を持ちません。

例えば、我が家には目に付く限りで「ハサミ」が3挺あります。一つは私の机の上、一つは台所、もう一つは裁縫用具と一緒に置いてあります。
※もちろん、もっとあると思いますが、とりあえず。

もし「ハサミ」というカテゴリーで整理すれば、これらを一緒の場所に保管することになります。この状態はあまり機能的とは言えません。基本的にはそれがハサミであるかどうかではなくて、どういうシチュエーションで使われるかについて、置き場所が決まっているはずです。

こういうことはイチイチ考えなくても、日常的に実行している「整理」です。

情報の際限なさ

というのを踏まえておいて別のエントリーを引いてみます。

シゴタノ!の五藤さんのエントリーです。

キュレーターって言葉がなんか流行ってるから調べてみた

このエントリーではキュレーター(キュレーション)という言葉が紹介されています。その記事の中で

これからは「情報を集める」事にたいした意味は無くて、それをどうまとめて、整理して、そしてそれをきちんと「届ける」事が出来るかどうか。

ここでも「整理」という言葉が使われています。そして、その対象は「情報」です。

目に見えるモノと違って「情報」の扱い方はやっかいです。ペン差しのようにキャパを気にする必要がないので、限界がありません。ブログ一つのエントリーにどれだけの情報を詰め込んでもOKですし、Evernoteにはクリップできる限りの数のウェブページを蓄積できます。
※プレミアムで使っていれば、一ヶ月間はWebクリップし放題とニアイコールです。

Googleリーダーにも好きなだけブログを登録できますし、はてブやファボることも縦横無尽です。唯一ネックになるのは時間という制約条件だけ。あとは思うがままに詰め込むことができます。

しかし、ルール無しで詰め込まれた情報は、整理されていない部屋と同じ事です。

例えば、Evernoteにウェブクリップが存在するのは大変便利ですが、仮にその数を極限まで持って行き、存在する全てのウェブページをクリップしたとすればGoogleでネットを検索して使うのと同じものができあがります。そんなものを作って喜んでも意味はありません。

キュレーションという言葉を考える以前に、「情報」を際限なく扱える現代では意識的なルールというものが必要です。なんでも溜め込めばOKという訳にはいきません。

キュレーションについて

そして、キュレーションです。

キュレーターが意識する「整理」とはどのようなものでしょうか。もう一度@kazumotoさんの整理から引用してみましょう。

あるべき場所に必要なものがあるという環境

ここからは次のような問いが発生します。

「あるべき場所」とはどこでしょうか。
「必要なもの」とはなんでしょうか。

さらに

「必要な人」とはどんなひとでしょうか。

という問いも発生します。

どんな人に、どんな情報を、どんな形やどんな場所で伝えるか、こういう価値観がキュレーターには必要になってくるのだと思います。ある意味でキュレーターが実施しているのは整理以上の何かです。言い換えれば価値観に裏打ちされた整理です。単に関連する情報をまとめて提出するだけの方法とは一線を画しています。

そうすると、キュレーターになるためにはまず自らの価値観をあぶり出し、自分でしっかり認識することが必要でしょう。それは、身の回りの物についてひとつひとつ点検していく行為に似ているのかもしれません。そういう段階を経て、ようやく自分なりのルールというのが見えてくるのだと思います。

▼こんな一冊も:

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