点を打つとき、線を引くとき

去年の12月18日に「「30歳の誕生日=その人の人生」仮説」というエントリーを書いた。

そのエントリーで紹介した「海馬」という本には30歳に関してのお話がいろいろ出てくる。お話が示すものは、三〇歳までの生き方と三〇歳からの生き方の変化だ。

ちょっと読み直してみたが、やはり考えさせられることが多い。

明確になる優先順位

実は昨日で30代1周年を迎えた訳だが、自分自身に何か大きな変化があったとは思えない。しかし、「あぁ、なるほどな」と思えることもある。

例えば、糸井さんが、

自分の得意なことを伸ばしていって、不得意なことに関わることを減らしていくような気がします。優先順位のつけ方がだんだんわかる。

と書かれているが、たしかにこういう生き方になってきている気がする。

振り返ってみると20代は、なかなか>結構>すごく、いろいろなことに手を出してきた。ゲームを含めた趣味から、仕事に活かせるスキルの習得まで気になった物は「手当たり次第」試してきたように思う。

しかしながら、今はそういう欲求はかなり少なくなってきている。自分が今進んでいる道をどこまで追求できるのか、どこまで階段を上れるのか、という方に興味が移ってきている。

こういった興味の変化は、時間の使い方を大きく変えてしまう。「これはこう、あれはそう」という優先順位の輪郭線がかなり濃くなってくるのだ。そして優先順位の低いことに時間を使うのが「もったいなく」感じられる。

これがはっきりしてくると、いろいろなことが決めやすい。コミットメントの選択が容易になる。でも、これはやはりある程度の経験の蓄積ということが前提にあるのだと思う。そういう下地無しで、コミットメントを選択するというのはなかなか難しいだろう。

拡大からネットワーク化へ

『海馬』には次のような言葉もある。

三〇歳を過ぎると、つながりを発見する能力が非常に伸びるんです。

すでに構築したネットワークをどんどん密にしていく時期に入る。

三〇歳までは構築していくのに力を入れる時期で、そこからはつながりを発見していくんですね。

「三〇歳までは、とにかく失敗をたくさんして、インフラを整備していく」と考えたほうが、生き方が複雑になってきている現代に合っていると思う。

20代は壁にバンバンぶつかる。ここはまっすぐ行ける、ここは壁になっている、そういったことを「体験」として知る。

表現を変えれば、白紙の紙の上に「点」を落としていく作業だ。できるだけ紙一面に広がるようにさまざまな場所に点を打ちたい。

30代は、それらの点を結び合わせていく時期になる。紙の大きさはだいたいわかった。点のある場所もわかる。あとは、それらを結び合わせていく。点と点をつなぎ合わせる線を一つ一つ増やしていく。そうして徐々に密なネットワークが生まれる。中にはハブとなる点もあるだろう。それが、自分の中心的存在になるのかもしれない。

もちろん、新しい点を増やすこともできる。でも、点と点をつなぐ線の数はたくさん引ける。点の数が増えれば増えるほど、引ける線の数も増えていく。孤立した点を増やすよりは、点をつなげる線を増やす方がよい気がする。

そして、最終的に点と線からなるネットワークがどのような模様になるのか。それもまた楽しみの材料になり得る。

さいごに

個人的には20代はいろいろやって、いろいろしでかして、いろいろ壁にぶつかって、いろいろ落ち込んで、いろいろ新しい一歩を初めても全然OKじゃないかと思う。あまりスマートに生きようとして、点の数が少なくなってしまうのはなかなか寂しいものである。

振り返ってみると、「馬鹿なことをしてきたな」と思うかもしれないが、その認識の土台も「馬鹿なことをしてきた」という経験から生まれてきている。だから馬鹿みたいな経験もバカにすることはできない。きっとそういうのは、じわじわと後から効いてくるに違いない。

とまあ、そんなことを考えながら、今日も点と点の間に線を引く作業に取りかかるとする。なんだかんだで、そういうのはけっこう楽しいのだ。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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