今週のダーリンコラム「地上100メートルの見切り」がなかなかおもしろかった。
先人の役割というのは、自分自身ではあまり考えたことがなかったが、やはり若者をある種引っ張るというのは先人にしかできない行為であるのだろう。
何かを伝えることが、先人の役割として、何をどう伝えるのかというのは、簡単なことではないと思う。
というか、最近では、「地上100メートル」に引っ張って行く、というやり方ではなく、一段一段階段を作ってあげて、背中を押し、足を支えながら物を教えていくというやり方が多いのではないだろうか。
そういうやり方は、確かにコツコツと知識を積み重ねることはできるかもしれないが、高みからの視点や感覚というものは決して伝わらないだろうと思う。
文学や、科学、芸術、その他レジャーやホビーに関する実用書なんかも本当に丁寧に階段を積み上げているものが多い。それはそれでひとつのスタイルかもしれない。
しかし、それで出来上がる知識では、多くを見渡すことはできないし、また他の誰かを高みに引っ張りあげることもできない。
「伝える」ということは、別に1、2,3・・・10という方法をとるだけが全てではない。
1を見せて、10を見せて、その間は自分で考えろ、というのもある種の伝え方だと思う。が、最近ではそういう伝え方はあまり「流行り」ではないのかもしれない。
本当に大切なものは、知識そのものよりも、それをどう使うかという感覚のなのではないか、なんて思う。