Evernoteの使い方

Evernote企画6th:エッセイ:二種類の「ライフログ」について

Evernote企画6thエントリー:
第一回:アップデートで追加された機能の確認
第二回:ノートの見た目にこだわる
第三回:HTMLファイルで「リフィル」を作る


「ライフログ」という言葉があります。

スタートになったのは、ゴードン・ベルとジム・ゲメルによる『ライフログのすすめ』という本でしょう。Evernoteの普及と重なる形で、「ライフログ」という言葉が少しずつ浸透してきている、というのが現状だと思います。

また言葉が広がる中で、意味が多様化している状況も生まれています。これは「言葉」が持つ宿命みたいなもので、その善悪を問いただしたとしてもあまり意味はありません。

「ライフログ」については、「デジタルかアナログか」が問題になることがあります。それはおそらく表面的な問題に過ぎません。真に考えるべきは、「客観的」なのか「主観的」なのか、ということです。

客観的な「記録のライブラリー」作成

先ほど紹介した『ライフログのすすめ』というのはあくまで邦題です。原題は「Total Recall」__トータルリコール、つまり「完全記憶」ということです。ビル・ゲイツが書いた序文には、神託的な修辞疑問が書かれています。

生きている間に経験したすべての情報に即座にアクセスできるとしたら、どうだろう。

ゴードン・ベルが指し示す「ライフログ」は、「生きている間に経験したすべての情報」にアクセスできるものです。このような情報の記録を人力で行うことなど不可能でしょう。

さらに、この「ライフログ」は、その度ごとに「記録を残そう」という意志の発露を必要としません。機器を付けて「存在」していれば、刻一刻と記録が残されていく、そのような性質のものです。ゴードン・ベルは第一章で次のように書いています。

実際にこれから訪れようとしているのは、ある種の情報をある時間帯や場所で記録しないという意識的な決断(もしくは法規制)を必要とする世界であり、現在に至るまでとは逆の流れだ。

記録を残そうとしなくても、全ての記録が残っていく世界。これがゴードン・ベルが指し示す「ライフログ」の世界です。

これらの機能を満たすためには、デジタル機器を使わざるを得ません。

主観による記憶の定着

ゴードン・ベル的ライフログに対して奥野宣之氏の『人生は一冊のノートにまとめなさい』などが提示するライフログは、日記の延長線上にあるものです。おそらく日本人にはなじみ深いものでしょう。

細かいスパンで書き付けていく、文字情報以外の要素も付け加えるという点が加味されていますが、「自分が記録を残す」という意志のもとで記録を付けているという部分では、既存の日記平面上に存在しています。

このタイプの「ライフログ」では、「記録」の取捨選択が行われています。何かを記録に残す、残さないが意識的、あるいは無意識的に選別されていると言ってもよいでしょう。

それは単純に時間的・あるいは物理的な限界で記録に残せないものが出てくる、というだけではありません。私たちの知覚の限界、あるいは認識の不確かさも関係してきます。

「見たもの」は何か?

恣意的に記録を残す場合、「記録を取ろう」と思う必要があります。当然、その前に何かを見て感じる必要があるわけです。「面白い」「感動した」「ブログに使える」「とりあえず記録しておこう」という思いの動きが、記録を取るという行動のトリガーになります。そしてその「思い」を動かすためには、それを認識する必要があります。

例えば、歩いている時に自分の横に「ちょー格好いいスポーツカー」が止まっていたとします。普通ならば「これはカメラで撮影だ」と思うかもしれません。しかし、同じタイミングに、視線のやり場に困るような、しかしてガン見して視線を外せないような女性が歩いていたとすれば、スポーツカーは視線内に入っていたとしても、「そこに車が存在する」という認識は起こらないでしょう。
※あくまで、たとえです。

その場合、家に帰って日記を書くときは「きれいなお姉さんを見かけた」という記述がなされるにちがいありません。

しかし、24時間自分の頭にカメラが付いていて、自分の目の前に広がる風景すべてを録画しているならば、後から見返したときにその「ちょー格好いいスポーツカー」の存在を発見するかもしれません。

つまり、前者の「ライフログ」は、「目に入ったもの」全てを記録していくのに対して、後者は「見たもの」を記録していく、という違いがあります。もちろん、これは極端な形であり、その中間も存在します。
※例えば、スケッチ→写真→24時間写真→24時間ビデオカメラのようなグランデーション。

さいごに

「記録を残そうと思わないもの」でも記録に残るということが、良いことなのか悪いことなのかはわかりません。それは確かに「変化」の一つです。それも、世界の在り方や、「人間とは何か?」「人生とは何か?」という問いに対する答えも変えてしまうような大きな変化です。

ただ、それを「進化」と呼んでよいのかどうかはまだわかりません。

確かに「完全記憶」を外部に保存できれば「メメント」の主人公にならなくても済むでしょう。あるいは「1984年」の世界にはならないかもしれません。でも、全ての人類が「完全記憶」を持つ社会は、今までのそれとはまったく異質なものになり、そこで生活する人々の意識や感覚も変わってしまう、というのは突飛な想像ではないはずです。

これに関しては書きたいことが尽きませんが、とりあえず「全てを自動的に記録していく」タイプのライフログと、「自分で記録を残していく」タイプのライフログは、質的に違うものだ、ということが今回の主題です。

もちろん、それぞれを適度に使い分けたり、ぼちぼち中間地点を探るということもできます。ただ、それぞれの「ライフログ」が持っている意味については、一度考えてみる必要があるでしょう。

▼こんな一冊も:

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