村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』という本を読んでいたら、アンガーマネジメントという言葉に出くわした。
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 | |
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村上 春樹 大橋 歩 画
マガジンハウス 2011-07-07 |
考えてみると、私もあまり「怒る」ということがない。それは「怒り」を感じないわけではなくて、感情の炎が大きく成長する前に対処している、ということなのだと思う。決して聖人のステータスがあるわけではなく、ボヤのうちに消化している、ということだ。
春樹さんは次のように書いている。
何かでかっとしても、その場では行動に移さず、一息おいて前後の事情を見きわめ、「これなら怒ってもよかろう」と納得したところで腹を立てることにした。
怒りの感情は、ときに大きな力を持つが、その熱は時間と共に冷めていく可能性が高い。一夏の恋と似たようなものだ。時に、時間が経っても温度が下がらないようなものがあるかもしれないが、たいていは「そういうのもあったよね」と受け流すことができる。
しかしながら、一度怒りにまかせて行動を起こしてしまうと、鎮火が難しくなる。怒っている自分というのを正当化するために、その他の要素が目に入らなくなり、客観的な視点からどんどんと遠ざかっていく。状況と自分と、自分の認識が一体化していくわけだ。
できるだけ、自分の心に怒りの下火を感じたら、深呼吸して体勢を整えた方がよい。単に冷静になるだけではなく、ユーモアの視点を持って状況を眺められたら、あんがいあっさりと怒りの気持ちは消えていく。
怒りの感情を押さえつけるのではなく、アースのように別の場所に逃がす、という感覚が近いのかもしれない。
怒りのみなもと
例えば、「ちょっと、コンビニに行ってハンターハンターの最新刊を買ってこよう」と思ったとする。車で往復すれば10分ぐらいで済む。ちゃっといって、ちゃっと帰ってくれば、時間のロスは少ないだろう。
そういう気持ちで車に乗り込んで出かけたときに、渋滞に遭遇してしまうと、やっぱり心地よくはないだろう。それがそこそこの混み具合でも、やっぱりイライラの芽は存在する。
「10分で終わる」という予定が大きく狂ってしまうのだから、イライラが起きてもおかしくはない。しかしながら、その予定は自分で立てたものだし、道路事情は私の心的状況を考慮して運営されているわけではない。
例えば、私が「この時間はめっちゃ混雑しているから、1時間はかかるだろうな」と予想して出かけたときに、そこそこの混み具合で、30分で行けそうならば、イライラはしないだろう。むしろ、「ラッキー」ぐらいに感じるかもしれない。結局の所、そのイライラを生み出しているのは、私自身の認識__コンテキスト__でしかない。
主体性を取り戻す
実際に、私がそのような場面__ちゃっと行き帰り予定&渋滞__に出くわして、イライラのもやを感じ始めたら、即スイッチを切り替えるようにしている。
予定は現時点を以て破棄。以後は、別の作業に時間を使う。という指令が下されることになる。
例えば、「Google+とFacebookへの日本人の印象への差はなんだろうか?」とか「Evernoteが日本人にこれほどまでに受け入れらるのはなぜか?」とか「もし、生まれ変わるとしたら歴代の哲学者の中で誰がよいか?」とか、そういう益体もないことを考える時間にする。ゆっくりとしか進まない車の中は、思考を遊ばせるのにはちょうど良い空間である。
そういう切り替えができると、車中の時間は、「誰かによって待たされている時間」から「自分の楽しみに使う時間」に切り替わる。もちろん、イライラの芽は消え失せていく。
A,S,A,P
この切り替えのポイントは、なるべく早めに対応することだ。実際にイライラしてからでは、難しい。
イライラしている最中は、自分の考えがそちらの方に向きがちだ。スピードが出ている車ほど方向転換が困難になるように、イライラも高まれば、それを沈めるのは難しくなる。
できれば、「あっ、イライラし始めているな」という段階で、早めにスイッチを切り替えてしまうことだ。兵は拙速を貴ぶ。早め早めの対応が重要だ。
しかしながら、これを実行するためには、自分のメンタルコンディションにできるだけ注意しておかなければならない。モニタリングし、アラームを設定しなければ、早期の対応は難しいだろう。
どうすれば、そういうモニタリングがうまくできるのかは説明しがたいが、自分のメンタル状況に注意を払えるようになれば、それに過剰に振り回される確率は下がるのではないかと思う。
さいごに
人間には、感情という機能が付いているので、怒りやイライラといったものを完全にシャットダウンすることはできない。
だからといってそれに身を委ねても良いか、というとそうでもないだろう。限定的合理性を持つ人間が感じる怒りは、時としてまったく的外れなものもある。酒飲みが、酔い続けるためだけにアルコールを摂取するように、怒り続けるためだけに、怒るということもおそらくはあると思う。
感情をコントロールするというのは、全てを支配下に置くというのではなく、その向きを変える術のことではないだろうか、とエッセイを読みながら、そんなことを考えた。
▼こんな一冊も:
HUNTER×HUNTER 28 (ジャンプコミックス) | |
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冨樫 義博
集英社 2011-07-04 |
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