学校評価ガイドライン、文科省策定へ 現場「点検」促す
学力低下や問題行動の続発など、公立学校の教育の質に対して保護者らの関心がかつてなく高まっている実情を踏まえ、文部科学省は新たに「学校評価ガイドライン」をつくることを決めた。国の基準に沿って地域や学校が教育内容の「点検」を実施することになる。学校の閉鎖性に風穴が開くことが期待される一方、一律のガイドラインが設けられることで多様な教育に影響を与える懸念もありそうだ。
学校の改革の必要性が認識されている中で、文科省の動きとしてはまあ型どおりに見える。が、一律の評価基準で全国の学校を評価することにどれくらいの意味があるのだろうか。
結局、これでは学校は個性を打ち出しにくくなっていくのではないだろうか。
もちろん、画一的な教育を目標とするならば、このガイドラインはまったく意に沿ったものだろうが、それが今後の日本が目指していく教育の方向性として正しいのかというのは、はっきりとわからない。
学校の裁量できる余地を上げ、そしてそれを第三者機関などが、いろいろな面から評価し、学校の特色をアプローチしていく、ということが新しい学校への方向性付けになるのではないか、と私は考えるので、あまりガイドライン的なやり方は面白くもないし、また効果があるのかどうかもわからない。
もはや、都市部と郊外、農村とそれぞれの格差というものは隠し切れなくなってきている。その格差を無視して、同じような教育です、と国が提供したところで子供たちに何かメリットがあるのだろうか。おそらくないだろう。それによって得られるものは、親たちの安心感が入り込んだ平等性という感覚だけなのかもしれない。
郵便局サービスにしろ、教育にしろ、全国一律というのが日本ではごく当たり前に受け入れられる。まるで社会主義国のように。
それは、国が体力があるうちは支えることのできるサービスだが、今の日本にはそれを成し遂げるだけの体力はなくなりつつある。
だからこそ、公立の学校は徐々に崩壊してきているのだろう。現実的に要求されているものと、学校が提供しているものに明らかな差異が存在するからこそ、その環境の中にいる子供たちは、無意識的な苦痛を感じることや、あるいは逃避的な無関心という態度をとらざる得ないのかもしれない。
教育の本当の改革が進んで、地域を巻き込んで学校が特色を打ち出せるようになれば、住む家を学校環境で選ぶ、というような社会構図もうまれてくるかもしれないし、それはそんなに不自然なこととは思えない。
政府が学校にすべきことは、最低限の質の保証ということにとどまるべきなのだが、それをするにはこの国のエリートたちは「賢すぎる」のかもしれない。若い世代に期待したいところでは、ある。
学校評価の是非
「Rashita’s Style Blog」さん
おそらく今回の学校評価というのは、かつて行われていたような
全国でどの学校が優れているのかを競うような観点からは行われないと思います。
「点検」という言葉が表すように、学校現場での機能不全の改善
あるいは予防的措置と考えるのが妥当かと思います。
現状を考えれば、一部の例外的な存在を除いて、大半の学校では
学校の個性化を図れるほど現場に余裕がないでしょうし、
また、学力という観点から見れば、すでに公立校を私立校が大幅に
上回っていることは国民誰の目…