ログの効用と自己認識

ブログ「このまま一生β版」さんに、次のようなエントリーが上がっていました。

EvernoteとGTDと人の脳の可能性について

たとえば10年前からこのようなメモを残し、読み返し、バラバラの言葉を繋げ文章とし、内容を熟成させていたなら、そこからどんなアイデアや行動が生まれていたでしょう。

さて、どんなアイデアや行動が生まれてくるでしょうか。

自分のことを振り返ってみます。

人生の全体からすればEvernoteを使っている期間はそう長いものではありません。しかし、ほぼ日手帳は8年、ブログも相当の年数を更新し続けています。

そうした実体験から言えることは、こういうログの蓄積はアイデアや行動に繋がるだけではなく、自己認識__自分ってこんなやつ__にも大きな影響を与える、ということです。

この点について、二つほど遠回りをしてみましょう。

「自分」はどこからうまれるのか

今、あなたが認識している「自分」という存在がありますね。それは、何によって作られているでしょうか。

こう想像してみてください。今から5分後、あなたは全ての体験的記憶をなくす。その時、感じる「自分」という感覚と、記憶をなくす前に持っていた「自分」という感覚は同一のものでしょうか。まったく違ったものでしょうか。

メモ魔の記憶力不足

とてもよくメモを取られる方で、いろいろな知識を持っているように見える方が「いや〜、私はあまり記憶力がないんで」とおっしゃる。

一方では、まったくメモを取らないで自信満々のヤツが、すぐに物忘れをする。

何かがおかしいとすれば、何がおかしいのでしょうか。

フィルター外の世界

人間の認知の仕組みというのは、とても高性能に、とても便利に、出来上がっています。認知的不協和なんてものもありますが、人は自分が見たくないものは見ないばかりか、時にそのカタチを歪めることすらあります。

これは、対外の世界に対してだけではなく、自己認識においても同様です。

「俺スゲー」と思っている人は、「俺スゲー」というフィルターで世界を知覚し、自己認識の材料に加えていきます。
「俺ってだめなやつ」を思っている人は、自分を駄目なヤツ認定するための材料集めをします。

ログを残して置いてそれを読み返す行為は、限定された自己認識に「それって本当にそうなの?」という問いを投げかけます。

「俺スゲー」な人でも、失敗はしたことぐらいはあるでしょうし、「俺ってだめなやつ」な人でも、うまくいったことや小確幸を感じることはあるでしょう。ただ、不確かな記憶と、色眼鏡フィルターのかかった認知の中では、そういう出来事はGmailの迷惑メールラベルが付けられてしまいます。

さいごに

反省するためでも、あるいは無理なポジティブシンキングをするためでもなく、自分が自分に対して持っているイメージ__自己認識__は、あくまで物の見方の一つの側面でしかないと知ること。言い換えれば、「自分」という認識を相対化すること。

これが、ログを残しておく一つの効果なのではないか。そんな風に思えます。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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