6-エッセイ

ルートの先と、スタート地点

たとえば、家にいて喉が渇いたとする。

きっと台所に行って、水道の蛇口を捻るか、冷蔵庫の中身をチェックすることだろう。
難しいことでもなんでもない。おそらく「そうだ台所に行って水を飲もう」とすら考えないだろう。ほとんど無意識にその乾きを癒すはずだ。

でも、その家が自分の家では無かったらどうだろうか。「自由に使って良い」と言われていても、台所がどこなのかが分からないと、うまく行動することはできない。あるいは水道の蛇口のひねり方が自分の家とはちょっと違うかもしれない。そういうのはなかなか手間取る。

あるいはこんなバージョンもある。喉が渇いている感覚を覚えたときに、どうすればそれが解消できないかがわからない、という状況だ。もし、そんな人がいれば、目の前に蛇口があっても、ただひたすらに喉の渇きを訴え続けるだけだろう。

わけがわからないよ

さて、これらの人を一カ所に集めてみよう。

ある人は、自分の家にいて、喉が渇いたらすぐにそれを解消できる。ある人は、解決策は知っているが、それを手にする場所がわからない。最後の一人は、そもそもどうやって解決するかイメージすらできない。

こういう時、自分の家にいる人は「なんで、こんなこともわからないんだろう」「ちゃっちゃとやればいいのに」と思う。だって、喉が渇けば水を飲めばいい、なんてことは自明のことじゃないか、というわけだ。もしかしたら、喉の渇きを解消できない人を見てイライラとしてしまうかもしれない。

でも、人それぞれに自明のことは違う。

理解している人とそうでない人の溝

上の話はもちろんたとえだ。でも、似たような事例はどこにでも転がっている。行動ではなくて、思考に関してもそうだ。

何かの問題に直面したときに、それをどう捉え、どのような方法論でそれを解決するのか。あるいは何かの悩み事にぶつかったとき、どのように対処するのか。

これは、理解できている人には自明すぎてわざわざ説明するまでもないことだ。それぞれのチェックポイントは一直線でつながっている。迷うところはない。

複数のルート、一つのルート

ちょっとこういうのをイメージして欲しい。

スタートにはある一点がある。その一点からは複数の分岐点が伸びている。また、それぞれの分岐点からはさらに複数の分岐点。ずっと先には、ものすごい数の点が並んでいる。その中の一点に理解できている人は立っている。

その人からみれば、スタートから自分のこの場所へのルートはとても明白だ。一つの点の先にどれだけ選択肢があっても、その点の前の道は一つしかない。それを順繰りに戻っていけば、簡単にスタートに戻れる。

しかし、今スタート地点にいる人にとって、「あの場所」へのルートは複雑すぎて見当も付かない。だいたいあっち方向だろうな、という推測ができる程度だ。

この両者が会話をして、はたしてかみ合うか。これはなかなか難しい問題だ。

この話の教訓は何だろうか。これもなかなか難しい問題だ。

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