inspired by「書籍紹介のスタンスについて:提灯記事ではなくて応援記事。」
書評と感想文との違いとは何か、というのが本エントリーの趣旨である。あくまで私の中の定義なので、辞書的な正確さは気にしないでいただきたい。
簡潔に言ってしまえば、本の外に立つのが書評。本の内側に入るのが感想文である。
イメージ的違い
写真を見ていただこう。手書きで申し訳ないが、だいたいのところはこれでつかめるだろう。
左側が「感想文」だ。
本の内側に入り込み、そのとき自分が感じたことを書き記す。「おぉ〜、すげぇ〜」とか「おもしろい!」というのが感想文。ソーシャルメディアの重要なファクターである「共感」はこの手のタイプの記事の方が作りやすいだろう。
ここには客観的な要素はまったく必要無い。単にその本を読んで、自分がどう感じたのかを書く。
右側が書評だ。本の中に入り込まず、あくまで客観的な評価を目指す。
一歩引いた視点で見ているので、その他の本との比較などもできる。
単純に考えて、使われる表現が感情的に大きくなるのは「感想文」の方だ。自分自身が本の中に入っている「感想文」と、視点を外に設ける「書評」では、相対的に本の「大きさ」の感じ方が違う。
これが「書評」と「感想文」の違いだ。もちろん、これは白か黒かというものではなく、グランデーションのように中間的な記事が存在しうる。上記はあくまで極端な形を提示しただけだ。
内容的違い
まったく同じ本でも、「書評的視点」と「感想文的視点」ではできあがる記事の風味は異なってくる。
たとえば、ある本を読んですごく面白かったとしよう。「感想文」ではその感じた面白さをそのまま書けばよい。
対して書評では「私は面白く感じたものの」という留保が付いてくる。似た本を読んだことがある人ならば、こう読めるのではないか、という推測がおまけで付いてくるのだ。
これは逆もありうる。自分があまり面白いとは思えなくても、これからそのジャンルの本を読む人には手頃な本ということもあり得る。
上記の点を考えると、本を少ししか読まない人は、なかなか「書評」が書けない。類似の本と比較することで、「読みやすい」「読みにくい」といった相対的な評価が出来るからだ。
しかしながら、ブログの世界において「書評」がインテリばりに偉そうぶって、「感想文」は肩身をせばめる必要などない。どっちだって、一つの「記事」である。自分の好きなように書いてしまうのが一番だ。
だた、たまには普段書いているのと違うタイプの本の紹介エントリーを書いてみるのは、なかなか良い文章ストレッチになるだろう。
最後に
いちおう、私の中で「書評エントリーの書き方」みたいなトピックスもあることはあるのだが、それはまた別の機会に紹介しようと思う。
▼こんな一冊も:
理科系の作文技術 (中公新書 (624)) |
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![]() |
木下 是雄
中央公論新社 1981-01 |
▼Coming soooon:
クラウド時代のハイブリッド手帳術 |
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![]() |
倉下忠憲
シーアンドアール研究所 2011-09-23 |
自分のブログで書評として記事をアップしたのですが後で考えたらあれは感想文だったな、と思ったことがあったので今回の記事は興味深く読ませて頂きました。記事を読んで自分が書きたいのは書評よりもむしろ感想なのだろうということが自覚できました。
>hapipo1103さん
コメントありがとうございます。
別にブログだから「書評」である必要は全然ないですね。大雑把に「レビュー」という言葉を使ってしまうのもありかな、と思います。