物書き生活と道具箱

「入門書」について

村上龍氏の『だまされないために、わたしは経済を学んだ』という本がある。JMMというメールマガジンに連載されていたエッセイのまとめだ。

その中の「入門書」というエッセイに次のような文章がある。

その分野について専門的な知識を持つということと、専門的な知識をわかりやすく一般に伝える、というのは別の作業だということがわかりました。本来はそこでジャーナリズムが介在すべきなのでしょうが、これまでの日本では、「わかりやすく正確に伝える」という作業が軽視されてきたような気もします。

これは1999年のお話だ。で、2011年の現代ではどうなっているだろうか。

入門書のスキル

「わかりやすい」を宣伝文句にする本は増えたように思う。でもそれが本当に「わかりやすい」のかどうかはちょっとわからない。

小難しい理論を漫画とか軽めの小説形式に置き換えたからといって、それだけで「わかりやすく」なるとは限らない。図解も同様だ。それは単に「受け入れられやすい」だけにすぎない。

それぞれの表現手法にも、プロフェッショナルが存在する。うまい表現と下手な表現が厳然として存在するわけだ。単に表現形式を変えたからといって、それですべてがうまくいくわけではない。

また、うまくトピックスを伝えられていても、コンセプトのピントが合っていないと全体像の理解に弊害を生むことすらあり得る。本来大した意味を持たない所が強調されてしまう、といったことだ。

単純にわかりやすさを追求すれば、ややこしい部分をばっさり切り落とすのが一番楽な方法である。書く方も簡単だし、読む方も簡単だ。

でも、そのややこしい部分こそが全体に置いて大きな比重を持っていたとしたら、噓とまでは言えなくても、本質を誤って伝えてしまっている可能性はある。

結局何が言いたいかというと、入門書を書くのは難しい、ということだ。

全体を俯瞰し、その中で何が重要なのかの選別を行い、そして読者が上っていく階段を設計する。こうしたことができるスキルがないと「よくできた入門書」というのは作れないだろう。単にその分野の知識を有しているのとは別のスキルだ。

こんな入門書だったら

私はハイブロウな読者ではないので、あまり小難しい本は読まない。特に新しく興味を持った分野ならばなおさらである。そういう時に私が「読みたい」と思うタイプの入門書は

  • わかりやすく
  • おもしろく
  • 広がりがある

こういう雰囲気を持った本だ。

「わかりやすさ」は、たぶん入門書にとって最低条件だろう。「わかりにくい入門書」は本質的に矛盾を含んでいるような気すらする。ただ、その「わかりやすさ」がどのような表現によって実現されているのかで、わかりやすさの程度は違ってくる。

次に「おもしろさ」だ。読者の興味をひき、ページをめくることに困難を覚えないばかりか、次のページが気になるような内容であればより良しだ。当然そういう本は二回、三回読むことにも抵抗を感じない。

最後が「広がりがある」本。どのように優れた本でも、一冊で全てを伝えることはできない。中級者へのステップアップ本、あるいは参考になる別の本への導きが付いているとありがたい。優れた本を探すのはなかなか骨が折れるものなのだ。

さいごに

ちなみに、このR-styleは別に「わかりやすい」ブログを目指していない。

でも、書く本に関してはできるだけ「わかりやすく」あろうとはしている。うまくいっているかどうかはわからないが。

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