同じタイミングで似たような方向性を持った本を読んだ。
それについて考えをまとめようと思っていたところ、とある対談記事を読んでよけいにモヤモヤとしてきたので、とりあえずモヤモヤした感じをそのままに書いておくことにする。
※「「塾長・副塾長がゆく!」 | ジセダイ」
リベラルアーツ
以前書評エントリーで紹介した『仕事したつもり』。この本は「星海社新書」という新しい新書から発売されている。その新書の第一弾は『武器としての決断思考』、これは「武器としての教養」シリーズと銘打たれている。
武器としての決断思考 (星海社新書) |
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瀧本 哲史
講談社 2011-09-22 |
ここで使われている教養とはリベラルアーツを意味するようだ。では「武器としての」とは何を意味するのだろうか。
『武器としての決断思考』の著者である瀧本氏は、10〜20代の若者を「みなさんは、ある意味、ゲリラのような存在です」と指摘した上で、次のように書いている。
つまり、いま私が行いたいのは、無力なゲリラである若者たちが、自分たちが弱者である日本社会というフィールドで戦えるように、「武器としての教養」を配ることなのです。
この部分を読んで、私は村上龍氏の『だまされないために、わたしは経済を学んだ』という本を思い出した。知識や情報は身を守る盾になり得る。そして、スキルや技術は戦うための武器というわけだ。
そのリベラルアーツについてもう少し考えてみる。
自由になるための学問
詳しい説明はかっ飛ばすが、自由七科としての「リベラルアーツ」は文法・修辞学・弁証法・算術・幾何・天文・音楽。東洋の「六芸」は礼・楽・御・射・書・数。
これらは何のための教科なのかというと、原義からあたれば「人を自由にする学問」になる。少し見方を変えれば、生きて行くための技術、もとい、人として生きて行くための技術を得るための学問ということになる。
テクニックとアーツ
ここで出てくるのが技術評論社から発売されている「生きる技術!叢書」。内田樹氏の『最終講義』、林志行氏の『自分イノベーション』といった本がラインナップに上がっている。
英語だとART OF LIVING。ここでもART(技術)という言葉が使われている。上の対談からでも明らかなように、これらのシリーズが向いている方向は似ている。
そして、私のメルマガでもBizArtsという連載を持っている。
一般的に技術といった場合、「テクニック」というイメージが出てくる。しかし、テクニックは個別的であり、それ自身が限界性を持つ。ExcelをショートカットするテクニックがNumbersでも使えるとは限らない(使える可能性もある)。
アートという言葉が持つものは、もっと土台的であり、そして向上していけるものだ。
仕事術という言葉を「technique of Working」ではなく、「art of business」として捉え直したかったので、メルマガではBizArtsという言葉を選んだ。
個別のテクニックは確かに便利なものだが、それにフォーカスが集まりすぎて、全体的な視野が失われてしまうのを私自身は危惧している。逆に土台的なものが手に入れば、後は個別にアップデートしていけるものだとも考えている。だからこそのArtという言葉を使うのだ。
仕事におけるart。生きる上で必要なart。それぞれが一体どのような形をしているのかは、まだ私の目には見えて来ない。でも、きっとそれは必要なんだろうと思う。それについてもっと考えてみたい。
これがもやもやの一点。
ロールモデルの相対化
もう一点がロールモデルについて。これはもう一段輪をかけてまとまっていない。
簡単に言えば、どれだけロールモデルとなりうる物を広く提示できるか、というのが今後の課題ではないかと考えている。
大学卒→新卒→新入社員というのはロールモデルの一つでしかない。他にもいろいろな生き方がある。年収を毎年アップさせていくのも一つの生き方でしかない。他にももっといろいろな生き方がある。
しかし、ロールモデルは心の内側から生じてくるものではない。そういう生き方をしている人を見つけて、そこから見出すものだ。
だから、ロールモデルの選択肢を増やすためには、大卒新卒モデル以外のパターンで生きている人の数を増やし、そしてそういう人たちの情報が広まるようにしなければならない。そうすることで、初めて唯一のロールモデルが相対化され、そこから外れてもまあ大丈夫だ、という認識になる。
ロールモデルが単一しか存在しない状態は、高層ビルの上にかかげられた鉄骨の上を安全網なしで渡るような気分がするだろう。そこから落ちてしまうことに恐怖感を感じるのは誰にも止められない。
でも、実は落ちても別のルートがあるんだよ、ということになれば、もっと気楽に生きていけると思う。
私自身の「成功」
私はフリーで生活している。名の売れた物書きではないし、(おそらく)ベストセラー作家になることもないだろう。というかそもそもそれを目指してはいないのだ。
ベストセラー作家になれる人の数はとても限られている。ロールモデルとしてはかなりレアだ。そこにあこがれる気持ちを持つことももちろんアリだが、私がいまさらそんなものを提示する必要もないだろう。
読書するのが好きで、文章を書くことが好きで、人に質問されるとつい「それは、こういうことですね」という風に前のめりに答えたくなるだけの人でも、ネットの片隅で活動を続けていれば、生活の糧を得ることができるんだよ、という一つのロールモデルを私よりも若い世代に提示できれば、個人的には「成功」ではないかと考えている。
マスメディア的なノリで、知名度をバンバン上げて、それで「成功しました」というのは、極端に言ってしまえば平凡な事例だ。ロールモデルとしての目新しさはない。私が提示したいのは、あるいはできたらいいなと考えているのは、「へぇ〜、そういう生き方もあるんですね」というものだ。
完全にフリーにならなくても、ネットを含めた活動で月に10万円でも収入が生まれれば、カチコチの会社員以外の選択肢も職業として選べるだろう。
私みたいに「大きい組織のノリってちょっと・・・」と感じている人でも、自分ががんばれる分野に時間とをお金(主に時間)を投資していけば、何かしら新しい生き方が見えてくるかも、と考えられれば、それは一種の希望になるだろう。
すくなくとも、私が18歳の時に、そういう生き方がもアリなんだと知っていれば、もっと楽な気持ちでいられたと思う。もっと明るい気持ちで未来を見つめられらと思う。そういう気分なら「勝ち組・負け組」なんて言葉は鼻で笑えるようになるだろう。
ひとまず終幕
と、ますます話が拡散する方向に向かってきたので、とりあえずこの辺で止めておく。ともかく、ロールモデルの多様化、そしてそれによって導かれる単一のロールモデルの相対化、というのは大きな意味を持ってくると思う。
これが二つ目のもやもや。
さいごに
もう一つ「領域横断」についても書こうと思ったが、すでにキャパオーバーなので止めておく。
もちろん、このエントリーには結論がない。人生と同じように。
▼こんな一冊も:
仕事をしたつもり (星海社新書) |
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海老原 嗣生
講談社 2011-09-22 |
だまされないために、わたしは経済を学んだ―村上龍Weekly Report |
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村上 龍
日本放送出版協会 2002-01 |
最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書) |
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内田 樹
技術評論社 2011-06-24 |
自分イノベーション ー問題発見・解決の究極メソッド (生きる技術!叢書) |
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林 志行
技術評論社 2011-07-29 |