つい先日ツイッターのタイムラインで「Evernoteに挫折した」みたいな言葉を見かけた。
面倒だったのでソースは確認しなかったが、その表現に違和感を感じたことは確かである。
挫折という言葉
たとえば「ハサミに挫折した」みたいな言い方は普通しない。道具(ツール)に挫折するという表現はどうもなじまない気がする。
で、逆から考えてみた。挫折するにフィットする言葉は何か。
たとえば「家計簿に挫折した」ならばどうか。これは違和感があまりない。
実際の所、家計簿というのは道具(ツール)である。その意味合いでは挫折するという言葉は合わない。
しかし、「家計簿」という言葉には「家計簿を付ける」という行動習慣がほんのりと含まれている。その部分が挫折という言葉にマッチしてくるのだろう。
別の視点で見れば、「体重計に挫折した」という表現は使わなくても、「測るだけダイエットに挫折した」という表現は使う。
家計簿の場合、この二つがミックスされている、ということだ。つまり、道具の機能ではなく、その運用の方法論が挫折の対象となり得るというわけだ。
運用のルールは想定されているか
つまり、「Evernoteに挫折した」という表現を使う場合、「こういう使い方をしてください」という運用のルールがあって、それに沿うことができなかったということを意味しているのだと思う。
- Evernoteをライフログ的に使う
- Evernoteを自分専用アーカイブとして使う
- Evernoteをクラウドストレージとして使う
- Evernoteをユビキタスメモシステムとして使う
というような使い方ができなかった、うまくいかなかった、続かなかった、というのが挫折になるのだろう。
でも、実際の所Evernoteそのものにはそういう運用のルールみたいなものは設計思想には組み込まれていない。でなければ、これほど自由な運用方法が多様に現れてくるはずもない。
たとえば、表計算ソフトとして名高いあのExcelも
- Excelを家計簿として使う
- Excelを請求書作成として使う
- Excelを方眼用紙として使う
- Excelをタスク管理として使う
- Excel(+VBA)でゲームを作る
といった多様な使い方ができる。
別にこう使わなきゃExcelじゃない、なんて決まりはもちろんあるはずもなく、使いたい人が使いたいように使えばOKだ。
まさかExcelを方眼用紙として使っていないからといって「Excelに挫折した」ということにはならないだろう。適当に数字を上から入れていって、一番下にsum関数を入力するだけでも、そこそこに便利に使える。それでも十分にExcelを使っていることにはなる。
基本的なツール
Evernoteは、ワープロソフト(エディタ)、計算表ソフトなどと同じぐらい、「基本的」あるいは「基礎的」な存在であると私は考えている。
実際ツール自身に単一の運用方法は想定されていない。ただ、ある種の使い方において、便利なやり方というのは存在する。それだけのことだ。
だから、「こういう目的のために、こういうEvernoteの使い方をしますよ」という感じで紹介していくのが良いのではないかと思う。
それは知的生産のためとかライフログのためとか、多様な切り口が考えられるだろう。その複数の切り口が重なり合うことで全体像が提示できるのではないか、そんな気がしている。
話題転換
という話はさておいて、根本的な部分で「記録を残すこと」「情報の扱い方」について考える場合、以下の三冊がオススメである。
知的生産の技術 (岩波新書) |
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梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |
ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice) |
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ゴードン ベル ジム ゲメル Gordon Bell
早川書房 2010-01 |
グーグル時代の情報整理術 (ハヤカワ新書juice) |
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ダグラス・C. メリル ジェイムズ・A. マーティン Douglas C. Merrill
早川書房 2009-12 |
Evernoteを情報ツールとして認識している方ならば、きっと何かしらの示唆が得られることだろう。
▼こんな一冊も:
EVERNOTE「超」知的生産術 |
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倉下忠憲
シーアンドアール研究所 2011-02-26 |
たった一度の人生を記録しなさい 自分を整理・再発見するライフログ入門 |
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![]() |
五藤隆介
ダイヤモンド社 2011-09-30 |
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