感想群 物書きと道具箱

『Evernoteオフ@名古屋』に参加してきました(3) 〜ツールがもたらす変化〜

※前回まで
『Evernoteオフ@名古屋 世界のえばちゃんオフだみゃあ』に参加してきました(1)
『Evernoteオフ@名古屋』に参加してきました(2) 〜CamiAppをいただきました〜

今回はフィルさんのプレゼンを聞いて考えたことをつらつらと書いてみます。
※長いエントリー&実用性皆無なので、時間が無いかたはスルーをオススメします。

話のポイントはツールがもたらす変化。

特異点的ツール

世の中において、便利なツールはたくさんあります。それらを使えば時間が短縮できたり、新しい付加価値を簡単に生み出したりできたりと、さまざまなプラスを私たちの生活に提供してくれます。

ただ、そういったツールの中には「特異点」と呼べるものも存在しています。

単に便利さをもたらすだけではなく、私たちの世界観そのもの、あるいは認識をすっかりと変えてしまうようなツール。

フィル氏は、それを

「The right tools changes your brain!」

と表現されていました。

これについて少し考えてみます。

ツールが脳に与える変化

以前のエントリーで「知的テクノロジー」というものを紹介しました。
イノベーターのウィルス

もう一度ニコラス・G・カーの『ネット・バカ』より引用してみます。

われわれが書いたり、読んだり、その他さまざまなかたちで情報を操るときに用いる道具は、われわれの精神に使われるものであると同時に、われわれの精神に働きかけるものでもある

一本のハンマー

ここに一本のハンマーがあったとします。あなたはハンマーを一度も使ったことがありません。

とりあずそれを握りしめて、必死に釘を打ちます。はじめのうちはなかなかうまく行きません。しかし、徐々にその「感覚」がわかるようになってきます。やがれ熟練すれば、自分が思ったようにハンマーを扱うことができるようになり、最終的には何も意識しなくても釘を打てるようになります。

ハンマーがあなたの脳に「インストール」された瞬間です。私の表現を使えば、ハンマーが脳に馴染んだ、となるでしょう。

上のような状況を、「まるで手の一部みたいに使う」などと表現されることがあります。そして、その表現はおそらく正しいと言えるでしょう。

身体の一部

私たちは自分の手を思い通りに動かせます。かなり乱暴になりますが、その理由を表現すれば脳に手からのインプット、手へのアウトプットが実装されているからです。
※あと、フィードバックも存在している点が重要ですが、もろもろ割愛します。

今私はマクドナルドでコーヒーを飲んでいますが、その視野に入るイスは私の身体ではありません。それを動かそうと思っても動かせないし、誰かがそのイスに触れたとしても私にはその情報が入ってこないからです。当たり前ですね。

逆に言えば、そういうことが可能なものが「自分の身体」と認識されているということです。

上はハンマーという身近な道具を使いましたが、例えば義手に置き換えればもう少し「自分の身体」と道具の関係性はわかりやすくなるかもしれません。

情報ツール

ハンマーというのは物理的な作用を持つ道具です。

そしてそれを熟練すれば、あたかも手の一部のように扱えるようになります。つまりは「手」の拡張です。

別の方向から見れば、脳の中の「何か」が変化したということでしょう。それは運動に関する神経がハンマーを扱えるように最適化した、ということかもしれません。

実際の変化がどのようなものであるかは、私にはわかりませんが、ハンマーという道具を使うことによって、脳の中に変化が起きた、という点は確かでしょう。

インプット・アウトプット・フィードバック、こういったものに関係する「何か」が変わったわけです。

もう一度カーの言葉に耳を傾けてみましょう。

われわれが書いたり、読んだり、その他さまざまなかたちで情報を操るときに用いる道具は、われわれの精神に使われるものであると同時に、われわれの精神に働きかけるものでもある

情報ツールは、ハンマーのように直接的物理作用を持っているわけではありません。それは情報のインプット・アウトプットに関するものです。

そもそも、私たちは自分の「世界」を情報のインプット・アウトプットから構築しています。それがなければ「自分」という存在すら成立し得ないほど根本的なものだと言えるでしょう。

私たちが自分を「自分」と思えるのは、他者を認識するからです。他人がまったく存在しない世界では「自分」という概念すら成り立ちません。他人という情報のインプットがあって、始めて「認識」が生まれるわけです。

カーが「知的テクノロジー」を特別視したのはこの点が大きいのでしょう。

情報との関係性

ハンマーはいわばアプリケーションのインストールのようなものですが、情報のインプット・アウトプットに関係するツールは、自分の「認識」を変化させる、つまりOSの変更やバージョンアップに近いものと言えるのではないでしょうか。

時計、地図だけではなく、書籍、日記、Web、Google・・・こうした情報ツールは、何かしら私たちの「認識」に変化を与えています。それは「考え方」「価値観」「行動様式」…といったものに影響してきます。

時計が当たり前になっている世界と、誰一人時計というものの概念すら持たない世界では、そこに住む人々の「時間」という概念は大きく異なるでしょう。おそらく後者の世界では、皆が共有する「時間」という概念は成立せず、もっと個別的な要素として捉えられているのではないかと思います。

グーグル後の世界

同じように、Google前後の世界でも、「情報」に対する認識は大きく変化したはずです。「ググる」という言葉が当たり前に流通していることが、その証左でしょう。

「情報は頭から生み出すもの」→「情報は誰かに聞くもの」→「情報は本から得るもの」→「情報はテレビから得るもの」→「情報はウェブサーフィンして漁るもの」→「情報は検索するもの」

Google世代(というものが存在するとして)は、情報というのは「自分で検索するもの」であり、「探せばだいたい見つかるもの」であり、「ソースをチェックするもの」という認識が生まれているはずです。

だからもし彼らがテレビを見たら、「そのソースは?」を非常に気にすると思います。有名大学の教授が何かしらのレクチャーをしていても、おそらくその教授の名前をググって、出している論文などを一応チェックするはずです。

それは別に彼らがその大学教授を疑っているということではなく、提供されている情報に対してソースを当たるというのが「日常茶飯事」になっているからです。

あるいは他の人のレビューなんかもチェックするかもしれません。そういう「多くの人の声は案外正しい」を信奉している人も多いでしょう。

テレビ世代

逆にテレビ世代(というものがあるとして)がネットを使えば、ソースはあまり気にしないかもしれません。情報というのは上から提示されているものであり、信憑性もそこに担保されてあるというのが認識になっている可能性が高いからです。

これは「情報リテラシーのあるなし」といった言葉で語られますが、そもそもそのリテラシーが必要だと感じる心境はどこから生まれるのかというと、提供される「情報」という概念に対する認識の違いです。

多くの情報に浴びるように触れているのか、それとも偉い人が一方的に与えてくれる情報だけに触れているのか、という環境によって、「情報とはそもそも何なのか?」という認識が変わってくるわけです。

Evernoteが提供しているもの

話が大幅に脱線しました。情報とツール。

Evernoteも「情報」を扱うツールです。この場合の「情報」とは「有益な情報」といった場合の情報ではなく、私たちの知覚に何かしらの刺激を提供するものの総体を指しています。「世界は情報でできている」という言葉の「情報」です。

その「情報」をどのように管理するのか、という一つの方法論をEvernoteは提示しています。

たとえば、iTunesに代表される音楽ファイル管理アプリは、その音楽ファイルの実体がどこにあるのかをユーザーはまったく気にする必要がありません。すべての音楽リストと、ユーザーの任意によるプレイリスト、そして属性情報を使ったスマートプレイリストによって、楽曲を管理しています。

Gmailもフォルダという概念が存在しません。基本はラベルによるメールの管理です。

スマートなシステム

やってみるとわかりますが、これはとてもスマートに使えます。

パソコンのスタート時に使われている「フォルダ」の中にファイルを入れるという考え方は、確かに一見分かりやすいように見えます。

しかし、それはあくまで弱々しいパソコンを使う時の話です。つまり、入れられる情報の種類が限定的であったり、数が少ないという状況ならば綺麗に機能します。

この管理が受け入れられやすいのは、私たちがもともと情報を管理していた「物理的」な存在を想起させるからです。つまりイメージしやすいから。

しかし、状況が変化したときにこの方法論の無理が見えてきます。

入れる情報が増えれば触れるほどフォルダそのものの数が増え、階層はどんどん深くなり、複数の属性を持つ情報をどう管理すればよいのかが分からなくなってきます。

フォルダ式の管理は、そもそも多種多様な情報を大量に管理する方法としては向いていないのです。あくまで限定的な状況で機能するものでしかありません。もし、それを維持しようと思えば、図書館のように専門の人員が必要でしょう。

Evernoteの変化

Evernoteは、ここに変化を与えます。

Evernoteもフォルダ式のシステムは採用していません。ノートブックという存在は確かにフォルダと類似の機能なのですが階層が作れない(スタックはグループ化)点から考えると、実は「プレイリスト」に近いものです。

このようなシステムに自分に関する情報を保存しておけば、後から「だいたい」見つかる。この感覚は一度味わうと、なんで今までそうなってなかったんだろうか、という気がしてきます。

おそらく入っている情報の量が少ないうちは、それほどこの感覚を強く感じることはないでしょう。

音楽ファイルが100ぐらいであれば、CDプレイヤーとiPodClassicの差はそれほど大きくは感じられないかもしれません。しかし、楽曲が1万を超えたら質的な転換が必要です。
※そもそも音楽ファイルが1万も必要なのか?という疑問はスルーしておいてください。必要と感じる人には必要なのです。

Evernoteに残される情報は、仕事で使えるようなものから、日常に関するものまで多種多様で数も多くなります。もしこれを管理しようと思えば、いままでのフォルダ式のシステムでは無理があります。

逆に言えば、そういう多種多様な自分に関する情報を管理することができるというのがEvernoteです。

つまり

・自分が必要な情報が一カ所に集まっていて、あとで検索で見つけられる
・情報をフォルダで管理しない

という二つの質的な転換が存在しています。

とりあえずはここまで

現状のEvernoteは、どこまで「脳」に馴染むのかはまだわかりません。

ハンマーを手に馴染ませるように、

「情報を必要とする」→「Evernoteを検索する」→「情報が見つかる」
「情報が入ってくる」→「たぶん必要っぽい」→「Evernoteに保存しておく」

ということを何度も繰り返していくうちに、Evernoteが「補助脳」として機能し出すということは十分にあり得ます。

ただ、そのためには、「動作速度」というのが非常に大きな意味合いを持ってくると私は考えています。それは速いから便利というだけではなく、私たちが「それを自分の一部だ」と認識する上で、「リアルタイム性」というのが非常に重要だからです。

もちろんハードウェア的な制約はあるものの、まだその点では課題は多いかな、という気がします。まあ、そういうEvernote論は書き出すとキリがなくなるので、とりあえず今回はここまでにしておきます。

さいごに

Evernoteというツールが私たちにもたらす変化は、一側面から切り出すことは少々困難です。おそらく「情報管理ツール」「ライフログ」の二つの側面から眺めていく必要があるでしょう。

しかし、何かしらの変化を与えるツールである確信が私の中では芽生えています。

全然まとまりないエントリーに最後までお付き合いくださりありがとうございました。

次回は「Evernoteの便利さが当たり前になっている具体例」についてちょっと書いてみます。

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