知的生産の現場

二つの「知的」という言葉

ここに二冊の本がある。

知的生産の技術 (岩波新書)
知的生産の技術 (岩波新書) 梅棹 忠夫

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知的生活の方法 (講談社現代新書 436)
知的生活の方法 (講談社現代新書 436) 渡部 昇一

講談社 1976-04-23
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『知的生産の技術』と『知的生活の方法』だ。著者はそれぞれ梅棹忠夫氏と渡部昇一氏。似たタイトルの本であるし、書かれているテーマも共通している部分がいくらかある。『〜の技術』の方がよりノウハウ的で、『〜の方法』がやや心得的なものが多い、というぐらいの差はあるかもしれない。

両者で共通に使われている「知的」という言葉、このニュアンスが二冊の本で異なっているのがとても興味深い。

知的生活とインテリ

私が先に読んだのは『知的生活の方法』だ。哲学書から古典小説にはまっていた時期に読んだような記憶がある。次から次へと本を読み漁っていた時期なので、この本に書いていることには非常に感銘を受けた。

しかし無理をしてでも本を買い続けるということをしていない人が、知的に活発な生活をしている例をほとんど知らない。新聞や週刊誌ならすぐに読めるけれども、本はすぐによめるものではない。特によい本は、いつになったら読めるかわからないことがある。そんな本のために、豊かでもない財布から、なけなしの金を出すということは異常である。

この文章からは二つの違った印象を受ける。

一つは「本を買うことのへ肯定」。知的に活発な生活をするためには本は欠かせないよ、という文章はその時の自分が(というか今でもだが)やっていることに大きな納得感を与えてくれる。誰しも自分がやっていることが「正しい」という文章を読むのが好きなのだ。

そうした「正しさ」の提供と共に、他の人はやっていないこと__「異常なこと」__というハンコも押されている。他の人とはちょっと違ったことをしたいという天の邪鬼的な欲求を持った人__つまり私のような__にとっては非常にワクワクしてくる文章である。

そういう意味で、この本は「知的な生活」にあこがれる人にとっての手引き書のような存在だ。ちなみに本書内でも触れられているが「知的生活」という言葉は、ハマトンの「知的生活」という本からきている。原題は「The Intellectual Life」。

Intellectualをググれば、次のような意味が出てくる。

1 知力[知性, 知能]の, 知力を働かせる, 知的な;知識人[インテリ]らしい. ⇒INTELLIGENT[類語]
2 〈人が〉(すぐれた)知性をもった, 理知的な.
3 〈事が〉知性を重くみる[に頼る], 知性の勝った.

これが『知的生活の方法』における「知的」という言葉が指し示すものだ。

日本でも「インテリ」という言葉があるが(あるいはかつてあったが)、そういう意味合いでの「知的」だ。高い知性、すぐれた知性、あるいは理知的な、という意味合い。それを求めるのが「知的生活」ということになる。

知的生産の技術

対して『知的生産の技術』ではどうだろうか。

ここで知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合である、とかんがえていいであろう。この場合、情報というのは、なんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、ぐらにかんがえておけばよいだろう。

私はこの部分を読んで、頭がグラッと動いたのを覚えている。「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出すること」。とてもシンプルで、こう表現する以外に他に方法はなさそうなぐらいにまとまっている。ここでポイントとなるのは「頭をはたらかせて」という部分だろう。

補足的に別の部分からも引用してみよう。

知的生産とは、知的情報の生産であるといった。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこに新しい情報をつくりだす作業なのである。

ここでは「頭のはたらき」が「人間の知的情報処理能力」と言い換えられている。「知的生産とは、かんがえることによる生産である」とも書かれている。

ここには「インテリ」的な言葉のニュアンスはほとんど感じられない。

この場合の「知的」はあくまで「物的」(ものづくり)との対比で使われているだけだ。そこには知性の高さや低さはあまり関係ない。たとえば、この文章をあなたが読んでいる。そして書いてある内容を頭の中で「理解」する。そのはたらきがもう「知的」な活動である。コンピューターにはマネすることはできない。
※「わかる」というのはなかなか難しい現象である。

あるいは何かの音楽を耳にする、すると昔体験した情景がありありと甦る。それもまた「知的」な活動だ。人を笑わせるジョークを思い付くのも、痛烈な皮肉を思い付くのも、知的な活動の結果だ。

極端な言い方をしてしまえば、普通に機能する脳(これをどう定義するのかがまた難しいのだが)を自前で持っていれば、誰でもが「知的生産」のスタートラインに立つことができる、ということになる。「知性の高さ」はここでは問題にならない。人間が普通に持っている「知的情報処理能力」をどのように使うのか、というのだけが問題なのだ。

もちろん、高い教養や多くの情報を持っている方が、質の高い「知的生産物」を生み出せることは確かにあるだろう。それが役に立たないわけではない。ただそれは生み出したものの評価につながることであって、インテリっぽくないから「知的生産」ではない、ということにはならない、ということだ。

高度な技術を使って作っている自動車は物的生産で、簡単に作れる(かもしれない)輪ゴムは物的生産物ではない、とは言えないだろう。それと同じことだ。

さいごに

なんというか、「知的生産」という言葉が、前者の「知的生活」的な、つまりハイインテリジェンスによる成果物に限定されているのは非常にもったいない気がしている。

もちろん、そういうハイインテリなものは付加価値も高いものになるかもしれないし、それに対する憧憬を持つのも悪いことではないだろう。

でも、それはそれ、これはこれ、である。

「知的生産の技術」は、現代においては日常生活に寄り添う「情報生産の技術」である。このようなブログの更新ですら知的生産の一つだ。

何かの変数に数字を入力すれば、2000文字の文章が自動生産されているわけではない。一応「頭をはたらかせて」内容を考え、比較的「あたらしいことがら」を、文章という「ひとにわかるかたち」で、ネット上に「提出」している。

「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出すること」

まさに「知的生産」の定義にぴったりだ。

たぶん「知的」という言葉がハイインテリをイメージさせすぎるがゆえに、知的生産という言葉があまり身近に感じられないのだろう。シゴタノ!で連載を始めて以来、それに代わる言葉を探し続けているが、いまだにぴったりする言葉が見つかっていない。

人間の頭を使って、情報を生み出す技術。そしてそれを他に人に伝える技術。それらを統合するような新しい言葉が見つかれば良いのだけれども。

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