小1女児殺人:段ボール箱内に放置、下校途中事件に 広島(毎日)
小1女児殺害、空き地の段ボール箱に 広島(朝日)
小1女児、下校中殺される…段ボール箱に入れられ遺棄(読売)
またも、こんな悲惨な事件が起こってしまった。
まだ、詳しい情報は報道されていないし、犯人像に関してもよくわからない。
一体、犯行を行った人間がどのような心境でこのような事件を起こしたのか、理解の範疇を超えている。
それとともに、学校や地域の認識の甘さも感じられる。「まさかうちでこんな事件がおこるなんて」というような雰囲気も若干見えないではない。
学校側が対応しないならば、PTAなりなんなりがきちんと動いて行かないといけなかったのではないだろうか。いまさらそんなことを言っても・・・、という感じはいなめないが。
結局日本の報道ってあまり現実感を生まないのかもしれない。気分が落ち込んで仕方がない事件である。
小1女児、下校中殺される…段ボール箱に入れられ遺棄
22日午後3時ごろ、広島市安芸区矢野西の住宅街の空き地で、女の子が段ボール箱の中でぐったりしているのを通行人が見つけ、110番通報した。
女の子は市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。
死亡したのは広島県警捜査1課の調べで、近くの陸上
聖飢魔IIの歌詞の一節にこうあります。
ブラウン管じゃ大量虐殺、リモコン一つで簡単黙殺
共通しているのは絶望感、全然違うのは臨場感
画面の向こうの話なんだと思います。
他人事で、身近に起こって真剣に考える。
しかし、喉元すぎればなんとやら、時がそれを忘れさせる。
そしてまた同じ過ちを繰り返す。
とことん監視社会へ向かうか、多干渉の時代へ逆行するかのどちらかしかないのではないでしょうか?
不干渉を肯定するのか、否定するのかを選択しないといけないのかも。
>梟の目さん
おそらく行政は監視社会の方向に進めたがるでしょうし(利権の確保なども含みで)逆にありふれたコメンテーターなどは、昔は良かったよ風なコメントでお茶を濁すことでしょう。
これからの社会において、人口の多い地域と少ない地域それぞれで、異なった対応というのは確実に求められるでしょうし、それは基本的に画一的なものではほとんど効果がないような気がします。
地域社会の事情をふまえて、その形にあった対策を立てていかなければいけないのでしょう。コミュニケーションの確立と言ったことから始めるか、あるいはただ金をかけて警備員を雇うか、結局正論というよりも、もっと現実的に子どもを守り続けれらる方法が求められていると思います。
しかし、テレビって言うのは本当にのんきというかなんというか・・・。