このブログで何度も取り上げている桜井章一さんの本。麻雀の代打ちの世界で20年間無敗という記録を持ち、雀鬼と呼ばれている方です。
運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則 |
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桜井 章一
日本実業出版社 2011-11-25 |
サブタイトルは「自分を研ぎ澄ます56の法則」。インタビュー形式で話が進んでいきます。
表紙だけみるとわからないのですが、インタビュアーは羽生善治さん。この二人の「勝負師」の対話は非常に心惹かれるモノがあります。
章立ては以下の通り。
第1章 運の移り変わりを読み、コントロールする
第2章 柔らかさこそ、瞬時の対応を可能にする
第3章 見えないものにこそ。意味がある
第4章 勝負の向こう側にこそ、本当の面白さがある
第5章 個の時代を柔らかく生きる
読み進めていくとわかりますが、羽生さんはインタビューアーに徹されています。基本的に質問するだけ。メインは桜井さんです。
それでも、桜井さんが話を振って、羽生さんのボイスが出てくることがたびたびあります。そのじんわりとした感じがとても良いです。逆のパターンのインタビューも読んでみたい気がしますね。
今回は、ざっと「これいいな」と感じた部分を紹介しておきましょう。
他の視点に立つ
だから、自分が四人分打っているつもりで打つと、他の人が何をやっているかが見えるんです。
これはとても大切なことです。初心者は自分のことだけで精一杯になっていて、他の人の行動に目を配れません。だから、どうしても後手後手になります。
自分のことをはやく片付けられる人は、他の人に目を配る余裕が生まれ、その人がどう打とうとしているのかの視点に立つことができます。これは麻雀に限ったことではないでしょう。
自分のことでいっぱいいっぱいになっている人は、先手を打つことも、他の人を手伝うこともできません。相手の立場に立つためには、自分から解放されている必要がある、と言えるかもしれませんね。
おしまいの感覚
物事って、できたらと思ったらおしまいではないでしょうか。
心が緩んだら、もうその時点で終了ですね。『仕事は楽しいかね』的表現ならば「あらゆるものを変えて、さらにもう一度かえること」となるでしょう。
効率という言葉
でも羽生さんは、「効率」という言葉を使っているけれど、効率とかそんなレベルじゃなく、駒をフルに作動させている気がします。
わりに重い表現だと思います。「効率」というと「最小の手間で、最大の益を得る」的なニュアンスがありますが、そういうものを目指すのではなくて、全ての駒を活かす、死に駒を作らない、そういうことを意識する。
この部分を読んで梅棹忠夫氏の「人生をあゆんでいくうえで、すべての経験は進歩の材料である」という表現を思い出しました。
欠点の扱い
欠点は、「捨てる」というよりは、面白いほう、笑えるほうに使えばいいんです。ふつうは悪いことを隠したがるけれど、楽しめばいい。ちょっとした変換ですね。
この変換ができるかどうかが、結構大きいかなと思います。だいたい「欠点」なんてそんな簡単にはなおりません。
仮に直せたとしても弊害がないとも限りません。ロボトミー、は極端な例としても、欠点を押さえ込む代わりに長所が消えてしまうのはもったいないですよね。
自虐ネタ、ではないですが、「欠点」を受け入れておけば、ずいぶんと気持ちは楽になるのではないかと思います。
許容すること
だから、俺は俺。本でも、俺はこう思う、俺はこう生きると書いています。みなさんはそれぞれです、と。「こうしろ」とは言いません。私は私、あなたはあなたなのですから。
しかし、分からなくても許容することが大切です。お互い許容できるのが、一番過ごしやすい。共感、共鳴、ちょっとした一体感を持つこと。全部分からなくてもいい。それを全部分からないから駄目だというのは、いろいろな人がいるから無理でしょう。
前半と後半の両方が大切だと思います。決して押しつけない。でも、理解しようとする。その姿勢。
白黒というか、二元論というか、ちょっと理解できないから、全部駄目というスタンスはお互い苦しいものがありますよね。全部分かりたい、全て理解されたい、というのは原則的に無理です。
二元論、デジタル(0か1か)、白黒思考、と表現はなんでもいいんですが、そういう線の引き方は非常に易しいです。簡単で誰にでもできます。でも全然優しくありません。人間は(特にその精神は)非常に揺らいでいます。アナログというか量子的存在とすら言えるかもしれません。
議論を戦わせるならともかく、相手を理解するのならば、そういう白黒思考から一歩足を遠ざけた方がよいでしょう。
さいごに
と、つらつらと感想を書いてみました。
今回は、書評というよりも読書感想文でしたね。まあ、それも良しです。エントリーの形を決めるのは私であって、「書評」という言葉の形式ではありませんので。
とりあえず、出世志向・メジャー志向・リッチ志向の方にはあまりオススメできない本です。これと逆の志向を(あるいは嗜好を)お持ちの方ならば、得ることはいろいろあるのではないかと思います。
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