ようやくAmazonに新刊の書影が入りました。
シゴタノ!手帳術 |
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倉下 忠憲 北 真也 大橋 悦夫
東洋経済新報社 2012-03-30 |
が、それと共に発売日の情報が3月29日から、3月30日に変更になっています。著者が発売日の情報を把握してないなんて・・・とお思いかもしれませんが、だいたいそんなもんです。
さて、今日は「新刊発売出ぜ!ヒャッハー」的なエントリーを書こうかと思っていましたが、発売日のズレで当てが外れました。というわけで、今日はエッセイめいたものでも書いて穴を埋めておこうと思います。
手帳と私
手帳。長い間使い続けているツールの一つです。
特にほぼ日手帳。長年愛用していますし、きっとこれからも愛用していくであろうと思わせてくれるツールでもあります。
この手帳の中には、いろいろなものが詰まっています。
でも、大雑把に分類すれば「行動記録」と「思索のメモ」です。言い換えれば、「ライフログ」であり「精神の履歴書」です。
「記録すれば、それだけでうまくいく」と断言するのは難しいですが、記録が変化のきっかけになることは間違いありません。
ニール・ジョンソンの『複雑で単純な世界』では、単純な構成要素が複雑な現象を生み出すためには、個々の要素が記憶によって戦略を変化させることが必要である、と紹介されています。もう少しシンプルに表現すれば「フィードバック」の影響を受けている、と言ってもよいでしょう。
自分の行動を決定づけるものが意志であるとするならば、行動を変えたければ意志を変えなければいけません。そしてそれを変えるのが、記憶や記録です。
記憶に関しては、自分にままならないことの方が多いでしょう。試験勉強をたとえにあげるまでもありません。
ただ、記録は、自分が記録しようと思えば記録できます。主体的意志(あるいは自分という感覚)のコントロール下に置くことができます。
話がややこしい方向に流れてきたので、この辺で切り上げておきます。とりあえず、「私」というものを考える上で、記憶と記録は欠かせない要素であるということです。
「場所」の価値
「思索のメモ」の保管場所は手帳だけはありません。ノートもその役割を担っています。
ノートはいろいろなものを渡り歩いてきました。今でも、複数のノートを並行して使っています。もしかしたら、どこかの時点で「これっ!」というノートに巡り会うのかもしれませんが、巡り会ったら会ったでちょっと寂しい気持ちが芽生えてくれるかもしれません。人生の墓場的な。
でも、最終的にはこうしてちりぢりに書いてきたノートたちも、その内容をスキャンしてEvernoteに送信することになるでしょう。結局の所、一カ所にまとまっていた方が利便性が高いからです。少なくとも、情報の活用という面から見れば、一元管理の方がメリットを多く見出せます。
手帳というのも、ある意味では一元管理の場所です。自分の情報を保管しておく場所。それさえ見れば、必要な情報が把握できるという場所。そういう場所があると安心感につながります。
この安心感は決してバカにしてはいけないものです。人間はロボットでもなければ、関数でもありません。強すぎる不安がアウトプットに影響を与えてしまうものなのです。
私は「天下一ツール決定戦」にはあまり興味がありません。ただ、自分にフィットする「場所」を持っておくことは大切だと思います。
今の時代の手帳
手帳って英語にするとどんな言葉になると思いますか?
「appointment organizer」「personal day planner」「pocketbook」
いろいろな答えが考えられますし、どれも正解の側面を持っています。でも、包括的な言葉を使えば、
「notebook」
なんですよね。手帳=ノートブック、なんです。つまり記録を残していくためのツール。私の中でもこの二つにジャンル的な差はありません。両方とも同じ視点で私の関心の対象になっています。
ただ、「手」という言葉が表すように、いつでも手に持っておく=携帯する、というニュアンスがくっついているのが手帳です。
あるいは、手引き書の「手」として捉えてもよいかもしれません。自分自身の手引き書__セルフハンドブックとしての手帳。
この二つの言葉は、今の時代の「手帳」を考える上で大切な要素です。
さいごに
というわけで、明日いよいよ『シゴタノ!手帳術』の発売日です(だと思います)。
普段は、自分の本を大々的に宣伝するのってちょっと気が引けるんですが(小心者)、共著だとそういう「気が引ける感」が薄いですね。自分の心理ながらなかなか面白いです。
▼こんな一冊も:
複雑で単純な世界: 不確実なできごとを複雑系で予測する |
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ニール・ジョンソン 阪本 芳久
インターシフト 2011-11-28 |