村上龍の『希望の国のエクソダス』という本に次のようなセリフが出てくる。
希望の国のエクソダス (文春文庫) |
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村上 龍
文藝春秋 2002-05 |
「大ざっぱに言って、投資家は不自然に安い株を買って、投機家は不自然に高い通貨を売るんだけど、財政と実体経済がどの程度悪いのか、政府が嘘を言い続けている間に、誰もわからなくなっているところがあるわけよ」
これを読んで、フムと考え込んだ。
「投資家は不自然に安い株を買って、投機家は不自然に高い通貨を売る」
不自然に安い株というのは、業績や今後の可能性がまだ市場から適切に評価されていない企業の株、ということだろう。某バフェットが買いそうな株だ。
不自然に高い通貨とは、経済の実態に見合わないほど過剰に評価されている通貨、と言えるだろう。環境や制度が変わっているにもかかわらず、同じような値段を付けていたり、あるいは逆方向に動いてしまっている通貨が狙い目となるのだろう。某ソロスが(以下略)。
ネットの世界に目を転じてみよう。
「この人のブログ面白いのにな〜」と思ってしまうブログはないだろうか。つまり、面白さの割に知名度があまり高くないと感じてしまうブログだ。
もちろん、当人が知名度を求めているとは限らないので余計なお節介には違いないが、もっと多くの人が知ったら1ナノミリグラムは世界にプラスが生まれるかもしれない、と思わされるブログ。
プラスに動くとは、別にお役立ち情報満載!だけを意味してるわけではない。
う〜んと考えさせられたり、フフフと笑いを浮かべたり、感動で涙を浮かべたり、といったことも含んでいる。そういうブログ記事を読む時間は、ちょっとだけ良い時間だ、という風に私は思う。
できれば同じような時間を他の人にも過ごしてくれたいいな、と思うことはそれほど変なことではないだろう。
ツイッターやFacebookを使えば、そのようなブログを他の人に紹介することができる。知名度アップに貢献することができる。
知名度が上がればアクセスアップにつながり、そこからフィードバックをもらえるようにもなる。それは運営者のモチベーションにつながるだろう。もちろん、アフィリエイト的なモチベーションの助けにもなるかもしれない。
そうして、面白いブログが続いていく土壌が整う。
こうした行為は「投資」と言えるのかもしれない。投資家が小さい企業に資金を投じ、その成長を助けるのと同じように。
払う費用はそれほど多くない。ただ記事を読んで気に入ったものを「紹介」するだけだ。得られるものは、自分の読みたいコンテンツが増えること。なかなか悪くないではないか。
そして、面白くてあまり人気がない__つまり不自然に安い__ブログほどその費用対効果は高い。特にスタートしたばかりのブログほど挫折しやすいのだ。そこに「投資」するのは妙手な気がする。少なくとも、すでに知名度のあるブログを__知名度があるという点だけで__紹介するのはあまり楽しいことではない。そういうのはマスメディアに一任しておけばよいと思う。
「不自然に高い通貨を売る」
これはどうだろうか。実は、ネットの世界でもよく見かける。
その時話題に上がっているもの、強い人気があるものを攻撃するという手法だ。こういうのは、きっといつの時代にでもあるのだろう。
人間とは完璧でない存在だ。だからミスもするし、うかつな発言もする。そういうときに鬼の首でも取ったかのように、「ほれみたことか」を騒ぎ立てる。これまでその人が成し遂げてきたプラスの功績を全て無視して、そのマイナス一点だけに全方位から攻撃を仕掛ける。
その場面だけを切り取れば、そうした攻撃に正当性があるように感じられるので、攻撃者の知名度は高まることになる。
バブルが膨らんでいるのを感じたら、とりあえず攻撃しておけ、のスタンスと言えるだろう。
そのバブルは当事者が意図的に膨らませていることもあれば、メディアが騒ぎ立ててなんとなく膨らんでしまったものもあるだろう。もちろん、そういう経緯も一切斟酌しない。ただひたすらの売り攻勢だ。時にレバレッジを効かせて__他の権威を借りて__売りをかけてくることもある。
まあ、それも一つの手法である。市場には善も悪もない。機会があるだけだ。
でも、私は投資家的スタンスでありたいな、と思う。少なくともその方が楽しそうに思える。
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