鎮魂祈り再発防止誓う 尼崎JR脱線事故1年
107人が死亡、550人以上が重軽傷を負った尼崎JR脱線事故から1年を迎えた25日、遺族や負傷者、JR西日本関係者ら約1900人が参加し、兵庫県尼崎市の市総合文化センター・アルカイックホールで追悼慰霊式が開かれた。
JR西の山崎正夫社長は事故をあらためて謝罪した上で「安全を積み重ねることが犠牲者と遺族に報いる唯一の道」と再発防止の決意を表明。遺族ら3人がそれぞれ「慰霊のことば」を述べ、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。事故が発生した時刻の午前9時18分には全員で黙とうした。
事件から一年が過ぎた。あれから我々の生活はどのように変化したか、を考えてみると、それほど換わっていないことに気がつく。
JR宝塚線事故1年 追悼慰霊式で犠牲者の冥福祈る
107人が犠牲となり、555人もの負傷者を出したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から1年を迎えた25日、JR西日本主催の「福知山線列車事故追悼慰霊式」が、兵庫県尼崎市の市総合文化センター(アルカイックホール)で開かれた。92組の遺族577人をはじめ、負傷者や友人ら計約1900人が出席し、1年たっても変わらぬ悲しみとともに犠牲者の冥福を祈った。脱線事故後も不祥事や重大事故が絶えないJR西日本の山崎正夫社長は、再発防止と安全最優先の企業風土づくりを改めて誓った。
事件の差別をするわけではないが、それでもやはり見知った電車、見知った駅、そんな中で起きた事件は私の記憶に強く刻まれることになる。それは、もしかしたら自分や私の身内が、という可能性を歓喜せざる無いからかもしれない。
良くも悪くも、JRという公共の交通機関を利用せざる得ない状況はこれからも出てくる。
「あの惨劇を忘れないで」空色のリボン2万個を配布
JR福知山線と片町線の計15駅では25日、事故の被害者を支援する「思いをつなぐ連絡会―4月25日から1年」のスタッフが、「惨劇を忘れまい」と通勤・通学客らに空色のリボン約2万個を配った。
小さな力しかもたない我々個人として、最大限に出来ることは事故を忘れないでおくことだろう。それは事故に伴った感情を忘れない、ということとは違う。
日本社会において、もしかしたら防ぐことが出来たかもしれない、非常に大きな事故があった、というその事実を記憶にとどめておくことだ。
今回はJR西日本だった、しかしそれはもしかしたら別の交通機関であった可能性もある。
だから、JR西日本に対しての憤慨をずっと覚えていることは無意味であるし、また精神的にも負担になる。JR西日本が補償の問題を解決し、解決に向けて方向性をつけることが出来たとき、心の中の一部の感情は忘れていっていいと思う。
しかし、事故の記憶そのものは忘れるべきではない。そういうことが起こりえる社会に我々は生きているということは常に覚えておかなければならないし、もし自分が分岐点の選択を迫られたときに、決して間違った方向へと進んではいけない。
ここにいたるまで、電車に限らず航空機関係でもさまざまなトラブルが起きた。
昨日も、JR東日本で、線路変形によるトラブルでダイアがかなり乱れていたようだ。
線路変形:隆起は最大6.6センチ JR東のトラブル
JR東日本は25日、東京都新宿区のJR山手線などが一時ストップしたトラブルで、埼京線・湘南新宿ラインの下り線路が最大で6.6センチ隆起していたことを明らかにした。同上りは5センチ▽山手線内回りが4.1センチ▽同外回りは2.2センチだった。また、隆起は直線で25メートルにわたり、工事ミスがあった周辺3メートル以内に集中していたことも判明。同社は「隆起の原因は工事ミスが濃厚」としている。
もちろん、これも問題は問題である。しかし事故につながらなかった、というだけでとりあえずはセーフというところだろう。何か問題が起きたとしても、それが大惨事につながらないシステムさえ整備できていれば、本当に大きな悲劇だけは防ぐことが出来る。
これまでの、日本社会の歩みの中で、うちに秘めていた安全性を脅かすような問題を全て取り除くには大きなコストと時間がかかるだろう。とりあえず、最大限の被害を防ぐためには何が出来るか、どういったシステムが必要か、ということで方向性を決めていただきたい、とそのように思う。
大きな声で企業理念の改革を叫ぶことよりも、まず今利用している乗客の安全性を、地道に確保していく、そのような作業の積み重ねがもとめられているのかもしれない。