ライフハックLiveshowの宿題 あるいは丸腰のワークショップについて

先週の「ライフハックLiveshow」が終わったあと、宿題みたいなものが頭の中にぼんやりと残っていた。
※この収録を見ていない人は、さっぱりな内容のエントリーです。

単純に人を集めるだけなら、有名人を呼べばいい。簡単だ。でも、それは想定されているのとは違った「集客」になってしまうだろう。

何かひねりが必要だ。

そう考えていると、以前読んだ糸井重里さんのワークショップの話を思い出した。

以下のムック本で紹介されている。

BRUTUS特別編集 合本・今日の糸井重里 (マガジンハウスムック)
BRUTUS特別編集 合本・今日の糸井重里 (マガジンハウスムック) マガジンハウス

マガジンハウス 2012-03-15
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2012年3月5日、二位本大学藝術学部大ホール棟で行われた、「素直であるためのワークショップ」。

このワークショップに臨むにいたって、糸井さんは段取りやシナリオを一切準備しなかった。そう書いてある。一体全体どんな気持ちがするのだろうか。自分の身に置き換えてみると、ゾッとする気持ちが収まらない。

開始早々、糸井さんが壇上にあがり、そして着席。500名の視線が糸井さんに注がれる中、「あー」と一言いったまま、無言に。

…………(一分経過)って、これだけで嫌でしょ?僕が何かすると思って来てるんで、放っておかれると困るでしょう。まあ本当に困ったことをしようと思ってるんですけども。

どきりとする言葉だ。こうした会場では「何かをする人」「それを見ている人」と線引きが発生する。もちろん、その線は予め引かれていたものではない。自分の認識が、あるいは周りの空気が引いてしまったものだ。

糸井さんは続ける。

目的もなしに人が集まって、何が生まれるかわからないですよね。でも、これだけ何かしたいと思っている人が集まってるんだったら、もしかしたら放っておいても何かできるんじゃないかな、というのが僕の夢なんです。

その後糸井さんは、0から1を生み出すことについて述べている。これは私自身もよく感じていることだが、「最初に言う」のがとても難しい環境が周りに溢れかえっている気がする。

例えば、会議で何か新しい企画を言うと、必ず「今のアイデア、相当いいと思うんだよ。ただね、こういう観点から考えたら、それはいかがなものか……」と誰かにすぐ言われて、一回も加速がつかないうちに、あっという間にシュンとさせられてしまう。言い出しっぺの「1」を言い出すのがすごく難しくなっている。

話の入りは肯定しているものの、結局は全力での否定。少なくともブレストではあるまじき姿勢である。でも、こういうことはよくある。アイデアを芽の内からひたすら摘む人々。その人たちが歩いた後は、アイデアの不毛地帯が出来上がる。イノベーションなど起きようもない。

自分も似たようなことをしていないか、ちょっと不安になってくる。Twitterで見かけた新しい動きを、応援するでもなく、声援を送るでもなく、「いや、ちょっとそれ無謀だろ」と切り捨ててはいないだろうか。「現実的」な冠を被った、裸の王様に判決を下させてはいないだろうか。

だから、「1」と言い出す人を作りたいと思った。本当は0から1を作ることが一番価値があるし、難しいのに、他人が言った「種」をどうこうしようとする人ばかりになっている。それはつまらないじゃないか。

結局、このワークショップでは、たまたま席の後ろ(あるいは前)に座った見ず知らずの人と、二人っきりで1時間過ごすという「ワーク」が実施されることになった。

「何だかしらないけど、2人が顔を合わせてみる」というふうに、もっとひどい0の状態にして、さらに難しくします。相手と私しかいないところで、「どうする?」から始めましょう。それで、1を生めるか、生めないか。今日は失敗するためのワークショップですから、うまくやらないようにやらないように、持っていってみたいと思います。

私たちの社会では、失敗しないようにうまくやろう、うまくやろうとしてしまっている。それを積み重ねて行くうちに、どんどん失敗することが怖くなり、0から1を生み出すことをせず、すでにある1に対して何らかのアクションを取ることが平常化している。あまつさえそれが「賢い」と評されることもある。

失敗をしなければ、失敗からのリカバー法を学ぶこともない。そうなれば、当然失敗への恐怖心はどんどんふくれあがり、情報に頼り、マニュアルを読み込み、先人の後を追い、獣道を避け、古人の求めたる所を求めず古人の跡をもとめることになる。

糸井さんは

今日のワークショップの「道具」は、人間です。

と述べている。

生身の人間が、ただふたり集まっただけで、何かを生み出せる。その感覚は、何かしら新しいものを生み出す力になる気がする。

ここまで書いてきて、頭の中に浮かんだ宿題の答えには全然つながらないな、ということに思い至った。でも、普通の「イベント」では、きっとダメな気がする。それは何も変えない。それだけは確信できる。

たぶん、一番最初に考えなければならないのは、その「会」(便宜的にそう読んでおく)の、目的であり、趣旨だろう。それをはっきり(つまり明文化)しておく必要があると思う。

この「宿題」については、もう少し考えてみたい。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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