考えない方が出る答え

inspired by ついでのメリット(23-seconds blog)

「”考えない方が答えが出る”などという状況はありえるか?」

自分の体験を振り返ってみると、この問いに対する答えはYesと言えそうだ。

「下手な考え休むに似たり」なんて言葉もあるが、休むどころではなく「考える」ことで状況が悪化してしまうことだってある。

原因はいろいろあるだろう。

「考える」ためのスタートライン、つまり問いの立て方がまずかった、というのが一番多いシチュエーションかもしれない。これはなかなかやっかいで、クノッソス宮殿の地下迷宮のように迷い込むと抜け出ることは難しい。

あるいは「思考」を入れてしまうことで、本来必要なものが引っ込んだり、あるいは出てこなくてもよいものが頭の中に浮かび上がってしまうような状況もある。

たとえば?

麻雀の打牌

たとえば、麻雀をやっている時に、そのシチュエーションは降臨する。

小競り合いのまま進んだ東場の第四局、交通事故的な振り込みで一気に四位に転落。

迎えた南場、勢いを増した親が早々にリーチを宣言してくる。手の内はほとんど読み切れないが、決して安くはなさそうだ。

そんな状況で、「振り込みたくない!」なんて思考が浮かんできたら、手詰まりまで後一歩だ。

安全な牌があるうちは良い。しかし、そういう時に限って安牌がなかなか増えないのだ。じわじわと追い詰められていく。

振り込みたくない気持ちが強くなり、振り込みを絶対に回避しようと「何を切るか」を考え出すと、驚くべき事態に陥る。

手牌の全てがアタリ牌のように思えてくるのだ。理屈で考えても、そんなことはあり得ない。14枚の手牌では安全な牌の方が多いのだ。目をつぶってエイっと切ればかなりの確率ですり抜けることができる。

しかし、場を見つめ、自分の手牌を見つめると、「これは裏筋だし」「これはあんまり場に見えてない」「この筋は自分で5枚持ちだから」と、アタリ牌になりそうな可能性が浮かんでくる。もちろん、その可能性は実際にゼロではない。どれだけ薄くても確率はある。

が、そんな確率は普段は無視して切り捨てているものだ。

しかし、絶対に振り込みたくない、という気持ちが強くなりすぎると、そういう確率すら無視できなくなってしまい、身動きがとれなくなる。

自分で恐怖の幻影を作り上げ、それにおびえてしまっている。そんな状況だ。

後から考えると「ははは、馬鹿だな」と思えるようなことでも、そのシチュエーションの真っ最中には真剣である。どれもこれもがアタリ牌に感じられ、何を切ってよいのかが分からなくなる。考えれば考えるほど何も切りたくなくなってくる。

もし、自分がそういう状況に陥っていることに気がつくことができれば、ふーっと息をついて、自分の手牌で一番必要ない牌を切ればいい。思考はほとんど必要ない。熟達した打ち手は、ぱっと見れば何が必要ないかはわかる。

もしそれで切った牌で振り込んでも、それはそれで仕方がない。勝負に参加するということは、誰かが勝ち、誰かが負けることに同意するということなのだから。

さいごに

たぶん、似たようなことは世の中にわんさかあるだろう。「考えること」はそれほど万能なものではない。

思考を入れることで、打算や迷いが生まれることもある。行動が必要なタイミングで、うまく動けないこともある。

だからといって思考がまったく役立たずというわけでもない。ようはバランスだ。

だが、そのバランスをとるのが難しいから、生きるということもまた難しいわけなのだが。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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