5-創作文

ポイントカード

「合計一点で、3980円になります。ポイントカードはお持ちでしょうか?」
5000円札をさっと出してお釣りを待つ私に、店員がお馴染みのセリフを投げかけてくる。彼は一体このセリフをどのぐらい繰り返してきたのだろうか。
「いいえ、結構です」
はっきりと口に出して意志を表明する。私はポイントカードを持ってもいないし、これから一生作ることもないので、ポイントの説明もオススメも一切必要ないです、そういう意思表示だ。
慣れた店員ならば、その口調だけで全てを察してくれる。実に楽だ。これが、「こう言われたら、こう言い返せ」的マニュアルしかインストールできていないやつだと、具合が悪い。「本日ご加入いただくと、お買い上げ金額の5%のポイントが・・・」などと説明を重ねてくる。そんなことは何回も説明されてすでに私の脳の溝に刻まれているし、二度とそんなことを耳にしたくもない、というお客がいることは彼の中ではイメージの埒外らしい。もしかしたら、ロボットなのかもしれない。
あるいは全ての女性はポイントカード的概念に釣られるものだと思っているのかもしれない。どちらにせよ、うっとうしいことは間違いない。
素早い手つきでタタッタン(5-0-00)とボタンを押す店員はどうやら慣れた店員の方だったらしい。心の中でほっと息をつく。なぜ、イヤホンを買うだけでこんなに緊張しなければならないのだろうか。
「あれ、ポイントカード持ってないの。作ったらお得だよ」
一難去ってまた一難。敵は本能寺にあり。休日にイヤホン選びを手伝ってくれた彼には申し訳ないが、私は眉をはっきりとひそめた。
「はっ?」
「いや、だから、ポイントカードを持っておくといろいろお得だよって。買い物するとポイントが貯まるし、それが次の買い物にも使えるんだ。使わなきゃ損だよ」
「別に損なんかしてないわよ。単に得してないだけでしょ」
「それって一緒のことでしょ。単に言い方を変えただけで」
たんにいいかたをかえただけ。それがどのぐらい重みを持つのか彼には分かっていないらしい。だいたい、この二つはイコールですらないのに。
「じゃあ、あなたにとって『あなたのこと好きです』と『あなたのこと嫌いじゃないです』というのは一緒なの?」
「ほとんど、一緒じゃん」
ダメだ。たとえが悪かった。ツンデレ好きに今のたとえは効果を発揮しない。
「でもね、落ち着いて考えてみてよ。得してないというのは、元々得られる物に対してプラスのものを得ていない、ということよね」
「だね」
「で、損しているというのは、元々得られるものがマイナスになっている、ってことでしょう」
「やっぱり一緒じゃん」
私は首を振る。思わず、やれやれ、とつぶやきたくなってきた。
「確かに、絶対値でみればこの二つは同じかもしれない。でも、心理的には全然違うのよ」
人の心理は損を極端に嫌う。損したくないと思えば、たとえ不合理な行動でもやらかしてしまう。世の中の女性でバーゲンセールの一週間後に後悔したことがない人がいったいどれだけいるだろうか。「今が安い」「今しか買えない」という謳い文句が、「買わなきゃ損」という心理を呼び起こし、まったく必要ないものもつい購入してしまう。昔から物を売る人間はそのことをよぉ〜〜く知っている。外出するときにしっかりと戸締まりする必要があるように、消費者は買い物するときに、損について心構えを持っておく必要があるのだ。
私は周囲を見渡して、陳列されているプリンタを指さす。
「今、あのプリンタは期間限定で30%OFFになってるわよね。あれを買えばお得かしら?」
「まあ、お得だろうね。交渉次第でもっと値下げさせられるけど」
どうしてこう男というものは機会を見つけては自分の力を誇示したがるのだろうか。私には、自信の欠如の表明にしか見えないのだが。
「じゃあ、今あのプリンタを買わなかったとしたら損するの?」
えっとそれは、と口ごもる彼。
「もし、それが損だというならば、今、この時点で値下げされている全ての商品を買わないと損することにならない?そんなことってあるのかしら」
損という概念は実にやっかいだ。世界中のどこにでも「損」の可能性を見つけることができる。腕の立つ商売人、口の立つ営業マン、悪い評判の立つ詐欺師、そうした人たちはその可能性を見つけ、私たちに「これを買わないと、損しますよ」と訴えかけてくる。しかも、だいたいはその可能性をほのめかすだけだ。提供された情報から損をするかどうかを決めるのは自分自身。だからこそ、なおのことタチが悪い。本当はかなりの部分誘導されているにもかかわらず、「損してしまう」ような気がしてしまうのだ。もしこれが、正面切って「あなた損しますよ」と言われれば、さすがに疑いをかける人も出てくるだろう。だから、歴戦の交渉人はうかつにそんなことはしない。あくまで、道を整え、目印を示すだけだ。自分自身が「損するかもしれない」と思ったら、それに疑いをかけられる人は存在しなくなる。多重人格者か、哲学者以外は。
「私はポイントをもらわなくても、損しているとは思わないの。単に得してないな、と考えるだけ。だから、今後一切私の前でポイントカードの話は持ち出さないで」
「りょーかい」
私の気分を察したのか、首をすくめ答える彼。深く追求されなくて助かった。おそらく「ここらへんは地雷なんだな」と理解したのだろう。私は、第一種警戒態勢的にひそめていた眉を通常モードに戻して、さっそく新しいイヤホンの左右を確認しはじめた。

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