「ネタ切れ」なんて、あるわけない

当Blogは毎日更新です。もう一つ運営しているBlogも日曜以外は毎日更新しております。約三年近く、毎週一回シゴタノ!に寄稿し、毎号1万字オーバーの有料メルマガも二周年を迎えました。どちらも「無遅刻・無欠席」です。

「よく、ネタ切れしませんね」

と、言われたことは実はないのですが、もしかしたら心の中でそう思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。

実際、Bogを毎日更新にしてからネタで困ったことはほとんどありません。

むしろ、たくさん書きたいことがある中で、「何を書いて」「何を書かないか」を判断する方がやっかいです。一日一更新という縛りの中で運営していると、どうしても切り落とさなければならないネタが出てきます。

「だったら、書きたいこと全部書けばいいじゃない」

というツッコミの声が聞こえてきそうですが、私はキュレーションの価値は、「捨てること」にあると思っています。つまりフィルタリングです。もちろん、その網の目が粗い方がいいのか、細かい方がいいのかは、情報の受け取り手が決めることです。正解はありません。

私の場合は(そしてこのBlogに関しては)、ある程度細かい目を目指している、ということです。

なので、消化されるネタ < 入ってくるネタ な状況が続いています。

話が脱線しました。

本稿のテーマは、なぜネタ切れしないのか、ということについてです。

もちろん、それはネタを仕入れているから、というあまりにもシンプルな答えが待っています。朝起きたら白い小獣が近寄ってきて、「さあ、受け取るといい。それが君の運命だ」 とネタ帳をプレゼントしてくれるわけではありません。自分自身で「発見」しているだけです。

では、どうすればそれが発見できるようになるか。

  • 概念としては、「自分の視座」を持つこと。
  • 具体的な方法としては、メモを取る習慣を持つこと。

という答えになります。

今回は、概念について書きますが、概念だけ知識として仕入れても実行できるようにはなりません。実際に行動を取る必要があります。自転車に乗れるようになるためには、フラフラしながら、時にはコケながら、ペダルを踏む必要があるのと同じです。

なぜか?

それは、脳を変える必要があるからです。ロボトミーの不気味なイメージは関係ありません。「自転車に乗れる」のビフォーアフターだって、何かしら脳は変わっています。情報の中からネタを探し出すことだって、脳を変える必要があるのです。そのためには、インプット・アウトプット・それによるフィードバックのサイクルを回すしかありません。

ということを前置きにしておいて、概念の話に戻りましょう。「自分の視座」を持つことについてです。

この場合の視座は「物事を見る姿勢や立場」ぐらいの意味で、別の言葉だって全然問題ありません。重要なのは「自分の」の方です。

何かの情報に触れたとき、スルーするのか、それともその情報から自分なりの何かを広げるのか。ネタを見つけられるかどうかは、ほとんどそれだけの違いです。固い言葉では「問題意識」を持つかどうか、という表現になるでしょうか。しかし、これでは固すぎてとっつきにくい雰囲気がプンプンしてきます。

難しい心構えはまったく必要ありません。

「自分だったらどうするか?」
「別の人ならどうなっていたか?」
「これが続くとどうなるか?」
「これが終わるとどうなるか?」
「どんな変化が考えられるか?」
「いつまで続くだろうか?」
「その話がどういう意味を持つのか?」
「何かに役立たないか?」
「要約するとどうなるか?」
「何が重要で、何が重要でないのか?」
「これに関連する話は無いか?」
「これって面白いのか。面白いとしたらなぜ面白いのか?」
「これってつまらないのか。どうしたらつまらなくなくなるか?」

というような疑問を立てて、自分に問いかけてみるだけです。

上のリストはあくまで一例で、その他の表現や、別の問いはいくらでも考えられます。それに、意識的にこういう問いを持ち出しているわけでもありません。だいたい無意識にこうした疑問が発生しているのです。ただ、慣れていない人は上記のようなリストを補助輪のように使うのはありでしょう。

こういう問いを持ち続けられれば、書くことなんて本当にいくらでも見つかります(書く価値があるのかどうかはまた別の話として)。逆に一日に数万の情報に接していても、こうした問いが立てられなければ、ネタを見つけることはできないでしょう。

そういう意味で、天の邪鬼な人は得です。誰かが「これはこうだ」と言い切ったら、「本当にそうだろうか?」という問いが自然発生してくるに違いありません。きっとネタ帳はすぐにいっぱいになります。

さいごに

というわけでネタ発見に、奇跡も、魔法も、ありません。

いや、そういう問いかけから出てくる答えが、ある意味で奇跡とか魔法のようなものなのかもしれません。人間の脳というのは実に不思議な装置です。

 
▼編集後記:
本稿は、タイトルを思いついてしまったので、それに合わせて内容を書いた、というありがちなエントリーです。まとまりない点はご容赦ください。

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2 thoughts on “「ネタ切れ」なんて、あるわけない”

  1. いつも楽しみに拝見しておりました。

    ただ最近、読者との距離感を感じる内容が増えてきていると思うようになりました。
    例えば今回の記事、自慢話以外にどう受け止めれば良いのでしょうか?
    物書き様が共有したいテーマ・提案に富んでいる内容なのでしょうか。
    「ネタを書くこと」で終わりですか?その評価は?
    具体例として、どうしても上司の意向通りに仕事を進めないと会社で生き残れない平社員には響く提案だったのでしょうか?
    おそらく対象外なのでしょうね。
    ちなみに私は上司に自分の意見をいい、晴れて飛ばされました。同期もそろって。
    そういうご時世ということもご理解いただきたく。

    それを許容する方々が想定読者であれば問題ないのでしょうが、
    どうも記事のターゲットが閉鎖的に感じました。
    少なくとも、明日を生きるために歯車を喜んで担っている一平社員にとっては。

    賞賛をされる、限定されたコミニュティでのご活躍を祈念しております。
    (決して批判しているつもりはなく、あなた様ならもっと多方面に配慮した、示唆に富んだ内容を発信可能だと思っておりました。ネタ切れなく。)

  2. >正座さん
    コメントありがとうございます。

    ご指摘の通り今回の記事は「上司の意向通りに仕事を進めないと会社で生き残れない平社員に響く提案」ではなかったと思います。そういう意味では「ターゲットが閉鎖的」というご指摘もごもっともです。

    ただ、限定されたコミュニティに賞賛されるかどうかではなく、単に私が書きたかったら書いた、というだけにすぎません。その時々で、多方面に影響を与えたり、あるいは限定的な人に喜ばれたりすることはあるでしょうが、基本的にずっと自分が書きたいことを書いてきた、というスタンスだけはぶれていないと考えております。

    しかし、コメントを頂いて考えてみたところ、最近特定の方面に偏っている気もしてきました。もう少し、発信の方向性について改めて考えてみたいと思います。

    ありがとうございます。

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