物書き生活と道具箱

365日の書斎:#06 「あたらしい書斎」の新しさ

先週まるっと連載の更新を忘れていました。ついでですので、話題を飛ばしましょう。

流れだと、今週は「本棚の運用」について書くべき回ですが、表題の通り「あたらしい書斎」の新しさについて考えてみたいと思います。

ちなみに、「あたらしい書斎」とはこの本のことです。

あたらしい書斎
あたらしい書斎 いしたにまさき

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3つの「あたらしさ」

上の本が掲示する書斎の「あたらしさ」には、3つの側面があると思います。

  1. ツール環境の新しさ
  2. 知的生産行為の拡がり
  3. 開かれた書斎

著者の意図はわかりませんが、私はそういう風に感じました。それぞれ簡単に見ていきましょう。

ツール環境の新しさ

まず一つ目。一番分かりやすい「あたらしさ」です。

本棚に並ぶ本と原稿用紙と万年筆、という時代は__まだまだ健在ですが__少し昔のお話。今は、パソコン、クラウド、電子書籍、iPad(タブレット端末)、スマートフォンが登場し、かつ個人の手の届くものになっています。

当然、これらを考慮して「書斎」を作り上げる必要があるでしょう。

特に、クラウドと電子書籍については、検討の余地が随分とありそうです。

知的生産行為の拡がり

ほんのすこし(50年ぐらいでしょうか)前は、知的生産といえば、学者さんのお仕事を差すものでした。

それがビジネス世界に浸透し、知識労働者として徐々に裾野が広がってきています。今では多くの人が何らかの形で「情報」を扱う仕事をしているでしょう。

さらにソーシャルメディアの拡がりがそれを後押しします。今では仕事以外でも情報を扱う場面が増え、言葉通り「365日」それに携わっている人もいるでしょう。

つまり、専門的な行為から、日常的な行為へと変化してきているわけです。

当然、それを行う場所としての書斎も、その変化に追従したものに成らざるを得ないでしょう。

開かれた書斎

もっとも捉えにくいのがこの要素。だいたい言葉の定義からして変です。この連載の最初の方で確認したとおり、書斎という言葉には「閉じられた場所」というニュアンスがあります。それを真っ向から否定しているのが、開かれた書斎です。

具体的には、ソーシャルメディア(特にブログなど)の活用があるでしょうか。こうした場所を「書斎」と呼ぶには幾ばくかの抵抗すら感じます。

しかし、それが持っている力を侮ったり無視したりすることはできません。自分の研究(そんなたいそうなものではなくとも)が、他の人の研究(そんなたいそうなものではなくとも)の役に立つ。こういうことが簡単に起こりえる時代です。もちろん、その逆もあるでしょう。

自分の研究(そんなたいそう以下略)を公開、あるいはシェアする行為は、現代ではどこかしら念頭に置いておく必要があります。

この話はまだ分かりやすい部類です。

「開かれた書斎」には、もう一つだけつかみどころが難しい側面が含まれています。

それは、ぐっと短い言葉でまとめるならば、「体に開かれた書斎」とでもいうのでしょうか。ざっとキーワード的なもので書けば、

  • 形而上的、理性至上主義からの脱却
  • 「体の疎外」からの復旧
  • 脳化社会への抗い

ということになるのかもしれません。

本エントリーでこの部分には立ち入りませんが、__そして『あたらしい書斎』でも深くは立ち入っていませんが__おそらく忘却してはいけない要素だと思います。

私たちの「知性」なるものは、自身を崇高に扱いながら、それが所属する体をどこかしら軽視しがちです。でも、それはネジがしっかりと締まっていないブランコのように危なっかしいものです。

これについても充分考える必要があるでしょう。

さいごに

「ツール環境の新しさ」は、クラウド、タブレット、電子書籍の進化がまだまだありそうなので、定番的な事柄を現段階で断言するのは難しいかもしれません。それでも、Evernoteは欠かせない要素になってくる予感はあります。

「知的生産行為の拡がり」は、もう拡がりまくっていますので、何をいまさら感があるでしょう(これぐらい日本人が日々文章を書いている時代は今まで無かったでしょう)。

最後の「開かれた書斎」については、ある側面では言語化しにくいものがあります。脳科学の知見をひらすら持ってくる必要があるのかもしれません。あるいは、別の何かを。もちろん、それをしてこそ物書きなわけですから、いろいろチャレンジしてみてみることにします。

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