0-知的生産の技術

「知識」が変わる世界の想像

随分前のエントリーですが、以下の記事に言及したいとずっと考えておりました。

知識が変わる(23-seconds blog)

文脈をぶった切って、一カ所だけ引用します。

しかしここで、上述のように「関連するノート」が「浮かび上がって」くることを考えに含めるとすると、もはや「知のデータベース」どころの騒ぎではなくなってきます。

「知識」そのものになるのです。

もしEvernoteがスーパーレボリューションして、一つのノートから本当の意味で関連するノートが浮かび上がってきた時、はたしてどうなるのか。

私が知識として脳内にため込んでいる情報と、Evernoteにクリップしているだけの情報。この二つの違いが、限りなく小さくなって、ほとんど見分けがつなくなるのではないか。「〜に等しい」としてイコールで結べるようになるのではないか、そういうお話しです。

ここには深遠な問いかけが含まれています。つまり「知識とは何か?」という問いです。

今のところ、私が持っている知識(コンビニはあまり楽な自営業ではない)と、ウェブ上に存在し、Googleと端末を介してつながれる情報(セブンイレブンの設立日は1973年11月20日)には、差異があります。少なくとも、ググって得た知識は、ググる直前までは私の知識とは呼べないものでした。

では、攻殻機動隊の世界ではどうでしょうか。電脳化した人は、何の端末も使わず、自らの「体」だけでネットにアクセスし、素早く情報を引き出すことができます。物理的な視点に立てば、世界中の知識を「体」の中に取り込んだと表現することもできるでしょう。もちろん、脳をウェブの中に置いた、という風に捉えることもできます。

もちろん、自分の内側では、ググらなくても知っている情報と、ググって得た情報に線引きをすることは可能です。しかし、誰かが質問し、それにたいして「あぁ、セブンイレブンの設立日は1973年11月20日ですよ」とすらすらと答えた場合、外側から見てその人がその知識を持っていたのか、それともググってきただけなのかは判別できません。であれば、世界中の知識が自分の内側に取り込まれた、と表現してもそれほどおかしいことではないでしょう。

これはまだ分かりやすい方です。なにせググるという行為が介在しています。

では、同じように質問されたとき、もし電脳内にエージェントアプリがインストールされていた場合はどうでしょうか。エージェントは質問の意図を介し、瞬時に適切な答えを探します。そして、私に「セブンイレブン の 設立日 は 1973 年 11 月 20 日」と機械的な心の声で教えてくれます。現実の私は、もう少し流暢な声で相手に答えを返すことでしょう。

問いが発された瞬間、私はその答えを手にしていたわけです。必要になるまでは意識に上っていなかったけれども、必要になった瞬間には使える準備が出来ている。

さて、これって「知識」なんでしょうか。それとも「知識」ではないのでしょうか。

エージェントアプリは、ようは脳内の「想起」あるいは「思い出す」という行為を外部化したものです。私は普段「セブンイレブンの設立日は1973年11月20日」と思いながら日常生活を過ごしているわけではありません(実際は、この記事を書くまでいつか知りませんでしたが)。ただ、誰かから聞かれたとき、あるいは何か考える時に必要になったとき、脳内のどこか(短期メモリ的な何か)にその情報をローディングします。それをスムーズに行えるものが「自分の知識」などと呼ばれるわけです。

そのローディングされる知識の保存場所が脳内だけである必然性はどこにあるでしょうか。別にウェブ上だっていいではないですか。それが脳内と同じ速度、それに関連性を持っているのならば。

もし私たちが、自分の脳内にある知識と同じように何かを想起できるのならば、それは自分の知識とほとんど見分けがつきません。

もちろん、前提として書きましたが、Evernoteがスーパーレボリューションしたら、というお話しです。「本当の意味で関連するノート」と周りくどい書き方をしたのは、私たちの脳が、一つの情報から別の情報を想起する仕組みは、そんなに簡単なものではないからです。

また、エージェントアプリの「質問の意図を介し、瞬時に適切な答えを探す」というのも、私たちの脳は平然と行っていますが、プログラムに代行させるのは少し荷が重い機能です。もちろん最近の技術をみると、それに近いことは__ごく簡単なレベルではあるにせよ__行われています。まるっと妄想の世界、というわけではないでしょう。

新しいものの登場は、既存の物事を相対化し、時に古いものを滅ぼし、時に古いものに新しい価値を与えます。どちらにせよ、その転換期において、私たちはじっくりと考える必要があります。

電子書籍は「本」という言葉の意味に変化を与えます。

ソーシャルウェブは「現実」を、
ライフログは「人生」を、
知のデータベースは「知識」を、

それぞれバージョンアップさせていくでしょう。もちろん、現実に存在するバージョンアップと同様に、それが必ずしも「良きもの」なのかどうかはわかりませんが。

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