前回までで、書斎の二つの機能を担う装置についてざらっと眺めてみました。本棚と作業場所としての机は、それぞれインプットとアウトプットを担ってくれます。
この二つはそれぞれの人の環境によって最適なサイズが変わってくるので、カスタマイズ性はいくらでもあります。つまり、ちょっとややこしい問題です。
しかし、残された最後の一つ、「インプットとアウトプットの間にあるごちゃごちゃした過程」の方がやっかいです。なにせ、目には見えないのですから。
一つの思考実験
この問題の難しさは、次の思考実験をイメージすると掴めるかと思います。
「1000冊以上の本が並んだ本棚がある書斎と、全てがデジタル化されクラウドに収められた書斎の二つがあるとする。中で作業する人はまったく同一として、それぞれの書斎で生まれ出るアウトプットは同一になるだろうか」
どうでしょうか。あるいは、まったく何も置いていないデスクとお気に入りのフィギュアが並べられたデスク、この二つではどうでしょうか。
私たちがプログラミングされた何かで、ブラックボックスが何も存在しないのならば話は早いです。何かを入力→出力という形はすっきり捉えられます。
が、脳はそれほど単純ではありません(単純な側面もかなりありますが)。特にイマジネーションやクリエイティビティと呼ばれる何かは定量的にアウトプットを管理することはできません。
もし、BGMとして流している音楽で文体が変わるようなことがあるのならば、あるいは使っているエディタのフォントサイズで物語の展開が変わるようなことがあるのならば、私たちは書斎の環境についてより注意深くなる必要があるでしょう。
それは目に見えない分、一度失われてしまうと、二度と取り戻せない何かになってしまう恐れすらあるのです。
どんな空間か
話を簡単に組み換えれば、書斎はどのような空間であるべきなのか、という話になります。
発想をビンビン刺激する空間なのか、心落ち着かせる空間なのか。
じっくりと思考するという点では、「心落ち着かせる空間」であった方がよいでしょう。しかし、書斎はアウトプットを生み出す場所でもあります。人によっては前者の要素が必要な場合もあるでしょう。
そのバランスは、最終的なアウトプットのジャンルやカテゴリによって変わってくるのかもしれません。一つの書斎に二つの空間を同居させたってかまわないでしょう。あるいは、外部にどちらかの機能を持つ「出張所」を設けてもよいかもしれません。
これらは、単純な利便性を超えた話で、何かの物差しで測ることはできません。しいて言えば、自分がその空間にいるときの印象、というもので調整していくしかありません。これがまた難しいのです。
さいごに
ご覧の通り、私はカオスに傾いたアウトプットを好みます。ヘミングウェイの文体には一生かかってもたどり着けないでしょう。まあ、所詮は自分の好みの問題です。少なくとも、私の書斎を誰かに押しつけるようなことはしません。
それはそれとして、好きな作家の書斎を真似るというのは、ミーハーな行為と揶揄されるものばかりでもないでしょう。アウトプットの方向性を近づけるという意味では、何かしらの効果が含まれているかもしれません。
これまた明確な答えは出ていませんが、書斎について考えるべき要素はいくつか見えてきました。もう一つ、この「インプットとアウトプットの間にあるごちゃごちゃした過程」には「ひらかれた書斎」の要素も入っています。それについては次回考えてみましょう。
▼こんな一冊も:
知的生活の方法 (講談社現代新書 436) |
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渡部 昇一
講談社 1976-04-23 |
あたらしい書斎 |
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いしたに まさき
インプレスジャパン 2012-09-21 |
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