2-社会情報論

電子書籍についてのあれこれ(1)

最近、電子書籍について考えることが多い。

これから電子書籍は増えていくのだろうか。個人の書き手はそのなかでどう立ち振る舞えばよいのだろうか。そうした書き手・読み手が増えてきたとき、どんな変化が生まれるのだろうか。

そういったことだ。

その辺に興味がある方は、少し長い話になるが、思索の散歩にお付き合いいただければと思う。

普及への道のり

電子書籍は普及するか。

これはYesといって良いだろう。私たちの読書の選択肢として(あるいはカルチャー消費の手段として)、ごく一般的に使われるようになってくるはずだ。ただ、そのスピードや普及の範囲までは見えてこない。

もちろん、当たり前のことだが、現状電子書籍やKDPを認知しているのは、ITに幾分かは足を踏み入れている人だ。そして、それは日本の人口からいうと、「大勢」とまでは言えない。

この場合の認知とは、存在を知っているだけではなく、それがどのようなものかを理解している、ということである。つまり、KDPはこれまでの「自費出版」とは違う(コストが圧倒的に)とか、Kindleストアで買った本はKindlePaperWhiteなどの端末を使わなくてもお手持ちのスマートフォンで読めますよ、とかそういうことだ。

そういう情報が、一般的に認知されるようになれば、電子書籍はもっと読まれるようになるだろう。読書好きのユーザーだけではなく、「パソコンは検索だけ使います。しかもYahoo!」(※)という人もごく当たり前に利用するようになるはずだ。
※偏見による人物描写です。

が、その状態までの道のりは、まだちょっと遠いように感じる。ただ、歩けない距離ではない。

クラスタの膜を破る

基本的にSNSでは「クラスタ」が発生する。群れ、というやつだ。群れの特徴は、同じような情報が流通することである。程度の差はあれ、そこには閉鎖的なものが生まれてくる。情報がその環の中だけでぐるぐる回るのだ。

今のところ、電子書籍やKDPについては、IT系の(いわゆる)アーリーアダプタな人たちが仕組みを理解し、使い始めている段階である。その情報はそのアリアダさんたちのフォロアーには一応届いている。が、その射程はそれほど広く、長くはない。何だかんだいって、IT系というクラスタの中でうごめいているだけにすぎない。

しかし、たとえば芸能人でもそっち系に詳しい人なんかが、ちょこっとKDPに触れてブログで紹介したり、「ちょっと自分で作ってみました、テヘペロ」とかやっちゃうと、一気にクラスタのやわらかな膜を突き抜けて情報が流れ出ていく可能性はある。

なんといっても、Kindleでしか読めないのならばそれはもうAmazonにアカウントを作るしかない。で、皆さんもご存じのように一度アカウントを作って、ワンクリックでダウンロードして読むという体験をしてしまうと、もはや戻れない。それはもう、そのようなものとして受け入れられる。別の本を試しに買ってみる、なんて行動の敷居はぐっと低くなるだろう。

ニッチコンテンツを惹きつける市場

そうしたタイミングで、KDPのコンテンツが充実していれば、いいかんじにスパイラルが回っていく。

おそらく時期が進めばKDPでの「本作り」に関するコンテンツやツールも充実していくだろう。今でも、それほど難しい作業ではないが、おそらくそう感じるのは私がそれに慣れているからだろう。だいたい、数万字の文字を書く、ということすら敷居が高い人は多い(というか圧倒的多数かもしれない)。

でも、まったく無理というものでもない。とりあえず、ややこしい仕組みを全ての人が理解する必要は無い。テレビのリモコンのように、ぱっと使えるようなツールがきっと出てくる。もちろん日本語の。出来ればWin,Macの両方で使えるような。でもって、安価(できれば無料)。

KDPで作られた本を買うユーザーが、潜在的にマスレベルになれば、そこには市場としての魅力が出てくる。

KDPではニッチなコンテンツを「出品」できるのが、書き手(作り手)としてのメリットの一つである。出版のコストが必要ないからこそできる芸当だ。しかし、ニッチなコンテンツからそれなりの収益を得ようと思えば、市場自体が大きくないといけない。この大きさは、単に人数だけの話ではない。

ちょっと考えてみるといい。もし、ある市場がIT系に偏った人しかいない場合、そこで「コンビニ店長虎の巻」なんてコンテンツを出して、一体どれだけ売れるだろうか。市場の大きは、利用するユーザーのクラスタの多様性でもある。

もし、マスレベルで電子書籍市場が認知され、利用されるようになれば、さまざまなニッチコンテンツがそこに息づくことができる。

先ほど上げたように、「コンビニ店長虎の巻」だって、コンビニの店舗数が5万店ほどあることを考えれば、その10%の店長が買ってくれるだけでムフフである。そういう計算が成り立つようになれば、「いっちょKDPを作っちゃろか」という人も増えてくるだろう。そうすると、多様なニッチコンテンツが増え、市場の魅力は増えてくる。

知識市場

そういう環境ができると、どうなるのだろうか。

ようは、自分が持っているスキルなり知識が「売れる」ということなのだ。

もちろん、その金額がどれくらいになるかは、Kindleストアの市場規模と知識のニッチさ具合に関わってくる。が、それはそれとして知識が(わりと直接的に)お金に変換できる、というのは面白い変化だと思う。

実に不思議なのだが、無形のものに正当な対価を支払うという感覚が大きく欠落している人をたまに見かける。アドバイスや助言だって、それっぽい肩書きを持った人(コンサルタント、弁護士)が行えば、しっかり有料なのだ。

それは別に何でもがめつくお金を取れ、という話ではない。ただ、お金を稼ぐのにはいろいろな方法がありますよ、ということと、それに対価を支払えるようになりますね、ということと、名も無き人の知識や経験がそれを必要とする多くの人に伝わるかもしれませんね、ということと、しかもちょっとした利益付きで、というようなことである。

「仕事」の話

いろいろな人の個人ブログを読むようになって思うのだが、「仕事」の話は職種を越えて面白い。

それは「何を仕入れ、何を売るのか」「職場の立地は」という形式的な仕事の話ではなく、売るためにどんな工夫をしているのか、同僚とのコミュニケーションは、デスクの配置は、出勤時間の工夫は、といった内側の話だ。

その人がごく当たり前に、(そして何年もの経験の蓄積の上に)行っていることは、門の外にいる人間からすればとても新鮮で、示唆に満ちあふれている。立派な情報だ。ある程度の量があれば、お金を払うだけの価値がある。少なくとも、ちょーゆうめいじんのサクセスストーリーを読むよりも遙かに実践的な内容だと言える。

そして、実践的な知識ほど役立つものはない。

さいごに

たぶん、これは一歩か二歩ぐらい視点を引けば「ナレッジマネジメント」の話になってくる。その話は、情報(知識やスキルや経験)を持っている人が存在しているだけでは成り立たないのだ。おそらく、引き出し手、場、聞き手、といったものが有機的につながっていないと意味を成さない。

で、ブログだと、それが若干弱いのだ。無理、不可能とまでは言わないが、現状は弱い。

その辺の欠落要素と、書き手が増えることの影響については次回に譲ろう。

次:電子書籍についてのあれこれ(2)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です