2-社会情報論

電子書籍についてのあれこれ(2)

電子書籍についてのあれこれ(1)」の続き。

話を前に進めるために、電子書籍が普及して多数の個人の書き手が「出版」に参加するようになると仮定しよう。これがどの程度現実的なシナリオかは測定できないが、とりあえず足場は必要である。

そういう状況が仮に実現したら、はてどんなことになるだろうか。

アラウンド・ビジネス

まず、パッと思い浮かぶのが、「周辺ビジネス」の跋扈だろう。いや、跋扈は言い過ぎか。盛り上がり、ぐらいにしておこう。

ゴールドラッシュの例を持ち出すまでもなく、ある分野に注目と関心と人が集まれば、それを”サポート”するビジネスに商機が生まれる。FX個人投資家が増えれば、証券会社が儲かる。分かりやすい構図だ。

そういうビジネスは、中心で金を掘りまくる人を取り囲んで存在するという意味で、「アラウンド・ビジネス」と呼んでも良いだろう。もちろん、これには「囲い込む」という揶揄も含まれているのは言うまでもない。

「自己出版」をサポートするビジネスが生まれれば、必然的に新規利用者の呼び込みが始まる。企業におけるシェアの拡大は必須命題だ。当然、少しぐらいしか「自己出版」に関心がない人に向けての告知も盛んに行われるだろう。こうなれば、さらに「自己出版」の認知と普及は進む。

二つの存在の影響

コントラストの強調をMAXにまで持っていけば、こうしたアラウンド・ビジネスには、健全なものと、悪徳なものの二つに分けられる。

健全なアラウンド・ビジネスとは最適な価格で、適切なサービスを提供するものだ。その業界全体をプラス方向に動かす力がある。ただし、何かしらのイノベーションがないと大きな利益を上げるのは難しいかもしれない。そこにどのようなサービスが含まれるかは後に考察することにしよう。

悪徳なアラウンド・ビジネスは端的に言えば詐欺だ。どのような業種でも、必ず詐欺まがい(あるいは詐欺そのもの)の商売をする輩は出てくる。社会の病理といったことではなく、単に「そういうもの」なのだ。

情報格差を利用して、不当に高い値段(※)でサービスを提供するなんてかわいいもので、何の効果もないもの(高い販促効果をうんぬん)をバカらしい値段で売りつけるなんてものも出てくるだろう。
※そもそも何が不当なのかを誰がどのように決めるのかという一つの哲学的疑問が立ち上がるのだが。

このような悪徳くんは、業界全体にとってマイナスの力を持っている。こうしたビジネスが自己出版の認知と普及に一役買えば、当然自己出版のイメージは悪くなる。当然、中長期的に参加する人の数は減っていくだろう。そのシナリオは個人的には面白くない。が、面白くないからといって、現実に起こらないわけではない。

これは健全くんと悪徳くんの比率によって決まる戦いなのかもしれない。あるいはある種の情報戦なのかもしれない。幸い、ソーシャルメディアが存在している現在では情報格差を消す(あるいは薄める)手段は多くある。ただ、完全とも言えないので、「これでばっちりです」という修正のシナリオを立てることはできないだろう。

どんなサービスがあり得るか

なかなか暗い話を先に書いたのは、私がこうして書いていることが「自己出版で秒速1億稼ぐ」みたいな話に信憑性を与えることになっては困るからだ。希望や期待を語ることと、現実と理想を取り違えるのは全く別の事柄である。そこは留意していただきたい。

さて、健全なアラウンド・ビジネスとしてはどのようなサービスが考えられるだろうか。ゴールドラッシュでは、採掘者向けの衣類、工具・雑貨、食事などが重宝されたはずである(直接見たわけではない)。重宝されれば、売れるし、口コミも生まれる。

「出版」を目指す個人に提供すると重宝されるサービスとは何か。

基本的に「出版」を目指す人は書き手であろう。文章を書く人、あるいは書かれるだけの(something worth writing)の知識や経験を有している人だ。これが線の一端に位置する。そして、その反対側には読み手が手に取る(比喩だ)電子書籍が存在している。

文章がそこにあるからといって、それが即「電子書籍」になるわけでもないし、それが買ってもらえるわけでもない。線の一端から、向こう我の端まで進むにはさまざまな工程があり、それを補佐するものならば、なんでもサービスになり得るだろう。

編集

真っ先に思い浮かぶのは「編集」サービスだ。

書き手が書いたものは、「完成品」というよりも、まだ「素材」に近い。刺身のようにそれを切って生で味わう楽しみ方もあるかもしれないが、何かしらの調理があった方がいい。このブログの長文記事だって、ちょっと編集の手が入るだけでぐっと読みやすさがアップするはずである。ようは、そういうことだ。

ここで「編集とは何か?」と込み入った話に立ち入りたいところだが、そこはグッとこらえて「コンテンツ・デザイン」と表現を言い換えるだけに留めておく。ここには多様なスキルが含まれるので、これはまた別の機会に譲ることにしよう。

おそらく、一人でコツコツ文章を書いているだけの人はこの「編集スキル」があまり高くない。ブログを運営している人は他者からのフィードバックがあるという点で、編集スキルを多少持っているとは思うが、それでも専業のプロにはまったくかなわないだろう。サービスとして提供する価値は必ずある。

「編集」に近いものとしては「校正」があるだろう。これまたプロには敵わない。

あるいは視点を変えて、プロのサービスを提供するのではなく、「みんなの意見」を提供するというサービスも考えられるかもしれない。腕に覚えのある素人さんを数名集めて編集工程に参加してもらう、という形だ。ソーシャルエディティング、とでも呼べば良いのだろうか(ゴロが悪いな)。そのマッチングをサービスとして提供するわけだ。この場合、利用者は安価に編集工程をアウトソーシングできるメリットがある。

ただ、どちらにせよ、それだけのコストを投下できるだけの売上げが作れるのかが一番の問題だ。100円程度の本をいくら売ればペイできるのか、十分に考える必要がある。

当然、これらを一人でやってしまえば、コストの投下はゼロで済む(時間的コストは考慮する必要はあるが)。自分のスキルアップに資金を投下するアプローチもあるだろうし、あるいは一切無視してマーケティングだけで販売を作るという方法も(オススメできるかどうかは別として)存在する。

デザイン

「編集」以外では「デザイン」の工程も重要だ。先ほどとの対比で言えば、「ビジュアルデザイン」と言った方が良いだろう。

まず、表紙。これは言うまでもなく最重要課題だ。どの電子書籍ストアでも「表紙」は必ず表示される。iPhoneのアプリでもアイコンのデキが売上げに影響するという話を聞くが、電子書籍でもそれは同様だろう。中身を軽く「立ち読み」できるストアもあるが、表紙とタイトルが気にくわなければ、わざわざ中身を見たりはしない。

言葉通り、表紙は電子書籍の「顔」だ。気を遣うのは当然だろう。
※ちなみにKindleではストアで表示される画像が「マーケティングカバー画像」と名付けられている。実に分かりやすい。

検索結果やアフィリエイトで紹介されたとき、小さめの画像で表示されても表紙としての効果が発揮できるデザインであればなおさら良い。

また別の視点の「ビジュアルデザイン」もある。例えば縦書きなのか横書きなのか。その他CSSに関係する要素も重要だ。『人は見た目が9割』なんて本もあるが、コンテンツだって見た目は重要である。

さいごに

もう一つ、「マーケティング」という超とびきり重要な工程があるわけだが、そこに言及するのは止めておこう。基本的に「作ること」と「売ること」は別の作業だ。うまく作れるからといって、うまく売れるわけではない。うまく作ったものが、うまく売れるわけでもない。

また、「そもそもどんなコンテンツを作るのか」というごく基本的な問題を解決する必要もある。これはマーケティングの視点から考えることもできるし、あるいはインタビュアー、発掘者、提案者など言葉はなんでも良いが、書き手に「こういうの書いたら面白いんじゃないですか」と提案し、コンテンツを引き出してくれる人と接する方法もあり得る。これもまたサービスの一つになるかもしれない。

もっといえば「頑張って書きましょう!」と脱稿まで応援するのだって、一種のサービスになりえる。もちろん文章の書き方伝授とかあるいはもっと極端にゴーストライターだって需要は出てくるだろう。可能性は無限大、とまでは言えないが、いろいろなサービスが考えられる。

ちなみに私が見たところ、日本の「編集者さん」は上に書いたようなことを結構な割合で一人でこなしている。あるいはこなせるスキルを有している。かなりマルチである。

とりあえず、書き手が増えて、健全なサービスが増えれば、またまた書き手が増えていくだろう。そうすると、それらについての認識もきっと変わってくる。それについては次回に。

次:電子書籍についてのあれこれ(3)

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