最近、MacのKeynoteで自作の電子カードを作るようなことをしている。
こうしたものを自作してみて、一つ気がついたことがある。カード化することのメリット、というやつだ。
読みやすい、ということ
情報をカードに書き込むメリットはたくさんある。詳しい話は『知的生産の技術』を読めばある程度はわかると思うので、本稿では割愛する。軽くまとめると、「情報を物質化する」というのが主題になってくるだろう。
そうした要素以外のメリットに気がついたわけだ。
そのメリットをごく手短に言えば、「形式が揃うことによる認知的負担の軽減」だ。
上の画面写真を見てもらうとわかるが、カードのレイアウトは統一されている。大概のカードは同様だろう。トランプだってそうである。スーツや数字が表示される場所は、基本的にどのカードでも共通だ。ジョーカーという例外はあるものの、ほぼ全てのカードの形式は統一されている。
あるカードを見て、次のカードをめくる。その時、私の脳は「この場所には、これが配置されている」ということがすでに理解している。予習はばっちり、というわけだ。当然、授業に苦痛を感じることはない。
最初のカードのレイアウトの意味さえ把握してしまえば、二枚目以降の情報処理はより簡易に進められる。
これが、サイズもレイアウトも揃っていないカード束だとそうはいかない。一枚ごとに、新規で情報処理を行う必要がある。これは結構負担だ。
また、カードは基本的に手のひらに収まるサイズであり、ぱっと見て内容が俯瞰できるようになっている上、載せられる情報量に限りがあるので、どうしても要素を要約して配置せざるを得ない。時にはイラストも活用される。これも、認知リソースを節約する効果がある。
さいごに
それがどうしたの?と言われると、ちょっと困るわけだが、ある種のことは言えると思う。
つまり、見た目の形を含む「形式」が整っている一群は、一連の作業内であれば認知的負担は軽くて済む、ということだ。そして、認知的負担が少ないほど、脳のリソースが空く。「智慧カード」や「The Oblique Strategies」といった創造性に関わるものがカードの形をしているのは、ある意味で必然的と言えるのかもしれない。
「何を今さら」な意見かもしれないが、Keynoteで上のカード群を作っている際、全てのカードをチェックしようとしてスライドを次々と送っている間中、自分の視線が定位置からほぼ動いていないことに気がつき、「なるほど、そうか」と思い至ったのだ。
実際に認知リソース量の増減を確認したわけでもないし、対照実験を行ったわけでもないが、視線の動きというのは時として雄弁に何かを語る、と思う。
▼こんな一冊も:
知的生産の技術 (岩波新書) |
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梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |
智慧カード3 |
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1 thought on “カード化のメリット”