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電子書籍についてのあれこれ(3)

電子書籍についてのあれこれ(1)
電子書籍についてのあれこれ(2)の続き。

前回は、もし「自己出版」が定着化したら、という仮定の下で話を進めた。

今回もその仮定を土台として話を展開させる。キーワードはカラオケとコンビニだ。

カラオケ

日本の娯楽として15秒後のアロンアルファのようにしっかり定着化したカラオケ。料金の低価格化で、業界自体はしんどいだろうが、日本人に与えた影響は大きい。

きっと、カラオケが普及する前の日本よりも、日本人の平均的歌唱力は向上しているに違いない。まあ、それをどうやって測定するのかはわからないが、そこら辺は気にしないでおこう。

基本的に能力の向上に役立つのは、練習である。それも、フィードバック付きの練習だ。

気軽に大声で歌える場所と、それを聞いてくれる他者(といっても辛口の評価はまず出てこないだろうが)の存在は、歌唱力アップに役立つ。上手くなろうと思っている人にとっては、最高の環境と言えるだろう。

もし、自己出版が普及すれば、これと似たようなことが起きるかもしれない。今でも、ブログの普及で日本人が書いている文字の量が激増している(はずだ)。それに拍車をかけるような事態がやってくる、ということも考えられる。

本を書くというのは、表現するということでもあり、考えるということでもある。その平均的能力が底上げされたら、何か面白いことが起きるかもしれない(起きないかもしれない)。

コンビニ

つい最近、日本全国のコンビニが5万店を越えたらしい。一店舗平均で15人のスタッフを雇っているとすれば、75万人ほどがコンビニ業務に従事していることになる。

というか、こんな数字を出すまでもなく、日本の労働者でサービス業に携わる人の数は増えている。
労働力調査 長期時系列データ(総務省)

さて、サービス業に関わる人が増えるとどうなるだろうか。奇妙な二つの変化が出てくる。

一つは、「サービス業の苦労」をわかる人が増えること。

私の経験から言って、お店にやや「飛び抜けた」クレームを入れてくるのは、背広を着たおじさんである。同じようなサービス業をしている人は、ミスに対して注意はしてくるものの「キレる」ということはまずない。特に責任者の立場に立ったことのある人はその傾向が強い。(苦労が多い)舞台裏を知っているからだ。わりとおおらかに、「まあ、もうちょっと頑張りなよ」ぐらいのスタンスをキープしている。

もう一つの変化は、「サービス業のすごさ」をわかる人が増えること。

プロは小さな違いにでも気がつくが、そこまでいかなくても一度何かに携われば、「すごいこと」と「そうでないこと」の目利き力はあがる。

普通の人ならば普通に買い物するコンビニでも、「おぉ、スタッフ全員がきっと挨拶できているな」とか「買い物かごも綺麗に掃除されているな」とかそういう細かいことに私は目が行ってしまう。職業病の余韻だ。

そして、そういう細かい差で「よく利用する店」と「そうでない店」の線引きが生まれる。

傾向として、サービス業の経験者の割合が増えれば、よいサービスを提供しているお店はより大きく評価されるようになるだろう。

より本質に近づくのか?

その話を延長させてみると、「自己出版」をする人が増えたらいったいどうなるだろうか。

まず、「本」に対する批判がより本質的になっていくだろう。

アプリのストアで、ちょっと引くような評価をしている人は、おそらくアプリ開発未経験者であろう。舞台裏の苦労を知らないから、好き勝手に非難できる。もちろん、それが良いか悪いかという話ではなく、経験者の線を越えてしまえば視点が変わり、自由奔放に批評する気持ちは小さくなり、建設的な意見が出てきやすくなる。
※もちろん、個人差は大いにあるだろう。

個人的な経験からいっても、自分で本を書くようになってから、「あんな本、くだらんね」と思う気持ちはほとんどなくなった。いろいろな場所で、いろいろな苦労が、いろいろな意図と思惑とごちゃ混ぜになって、存在しているのだ。それにブーメランは怖い。

また、「本」に対する評価のポイントも変わっていくだろう。

「わかりやすく」書いてある本というのは、読み手からすれば扱いやすいものだが、書く方からしたらとんでもなく難しいものである。打ちっ放しにいって自分でドライバーを振ってみると、いかにプロゴルファーが凄いのかがわかる。それと同じで、書き手の立場に立つと(技術的に)優れた本がよくわかるようになる。

また、編集やデザインというものへの評価も高まるだろう。なんだかんだいって、「編集」という工程は「本」にとって大変重要なポイントである。それで、コンテンツの生き死にが決まることすらある。私の書いた本も、編集者さんがいなければ、結構ひどいことになっているに違いない(という気がする)。

ということに気がついてから、本を読んだときに「編集者」は誰かということも気にするようになった。たぶん、デザインにも同じことが言えるだろう。

雑誌はともかく、これまで本では「編集力」はあまり注目されていなかったように思える。しかし、書き手側の人間が増えれば、その視点も変わるだろう。すると、「書き手は全然知らない人だけど、あの人が編集しているから読んでみよう」という事態も増えてくるはずである。
※今のところ、これはかなりの本好きだけが持つ視点である。

主演で観る映画を決める人もいれば、監督や脚本でそれを決める人もいる。同じように、編集やデザインでコンテンツを決める人も出てくるようになるだろう。

これを逆から見れば、編集やデザインを担当する人も「無節操に何でも」というよりは、自分自身の価値観に沿うものとコミットメントを持つ、という方向性であった方がよいだろう、ということは言えるが、とりあえずそれはまた別の話である。

さいごに

もちろん、この話は、もし「自己出版」が定着化したら、という仮定を土台に進めているので、全然こうならない可能性もある。というか、高い。

でも、もしそうなったら「文化が大衆化する」という言葉の意味が別のレベルにシフトするような気もする。そうなったら個人的には面白い。

でもって、この話はまだまだ続くのである。

次:電子書籍についてのあれこれ(4) KDP本とブログと紙の本

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