前回:365日の書斎:#15 機能による空間の分離
これまで:Category: 365日の書斎
この連載では書斎について、特に現代における書斎について考えています。で、いろいろ考えてきたわけですが、ぐるっと回ってみた上で、ある問いが頭に浮かんできました。
「ある空間が、書斎と呼べるようになるには何が必要か」
簡単に言い直せば、「書斎を定義づけるものは何か」、になります。
わりと根本的な疑問に思えますが、いろいろ巡回してみて、そのコアとなる部分が見えてきたように思います。
書斎の条件
結論から言えば、「心理的に線引きされた特別な空間」が書斎が書斎であるための条件です。
ある境界線があって、その線からこっちはA、向こう側はB、という風に区切られている空間。
別の表現をすれば、その空間に足を踏み入れたときに、ある種の心理状態になる場所が書斎です。
もっと言い換えれば、「今、自分は書斎にいる」という風に感じられる空間が書斎です。何かトートロジーな感じもしますが、実際の所そういう側面は確かにあります。
これらはあくまで心理的な線引きなので、物理的な線引きが必ずしも必要というわけではありません。ただ、物理的な線引きがあったほうが心理的な線引きが生まれやすいことは確かです。
また、本棚や作業机は書斎で行う作業を補助・促進するもので、書斎空間に付随する装置という風に捉えることもできるでしょう。
だから、部屋の片隅に置かれているソファーだって、「書斎」としての役割を果たすことはできそうです。そのソファーに座り、膝の上で開いたノートに思索を書き付ける。時にタブレットを取り出し、参考資料を参照する。これだって十分に書斎作業と呼ぶことができるでしょう。
スイッチ・オン
要諦は、その空間に足を踏み入れたときに、何かしらのスイッチが入ることです。
日常空間から気持ちが切り離され、何かしらの対象に向けて思索を進める。そういうことをする気持ちになる場所が書斎と言えるでしょう。
だから、部屋を一つ作り、そこに本棚と作業机を導入し、書斎というルームプレートを付けても、本当の意味で書斎が生まれているわけではありません。書斎の準備が整った、と言うべきでしょう。心の中の書斎は、それをスタート地点にして生み出していくことになります。
では、そういう心理的な線引きはどのようにして生み出していくのでしょうか。
先ほども書きましたが、まず物理的な線引きを作るのが補助になります。大きな広い空間に間仕切りを入れれば、私たちの認知に部屋A、部屋Bという二つの概念が生じます。また、その空間に「書斎」に必要ないものを置かないことで、心理的な線引きを強化することもできるでしょう。
ただ、これらはあくまで補助線のようなものです。馬鹿にはできませんが、過大な期待も禁物です。
最終的にものをいうのは、実践です。実践の反復こそが、心理様式を発生させます。
ようは、その空間に入り、雑務を一旦頭の隅に追いやり、何かしらの思索を進める。思索、というと大げさな響きがありますので、何かについて考える、ぐらいでもよいでしょう。
そういうことを繰り返していけば、心のスイッチが生まれてきます。
また、「書斎」に必要ないものを置かないのと同じように、書斎空間に雑務を持ち込まないことも線引きの強化につながります。デスクを二つ持つ、というのもこれに関係することですね。
さいごに
現代の私たちは、こういう書斎(心の書斎)を一つは持っておいた方が良いのではないかと思います。
そこで行うのは、哲学的探求や飽くなき思考実験であっても良しですし、自身の専門分野を深めたり、興味ある他分野の勉強であってもよいでしょう。
あるいは、自分自身との内なる対話であってもよいはずです。
そういうことを行う空間と時間と心理状態(気持ち)を持つことが、せわしなく巡りゆく、見上げるほど高度な情報化社会では必要になってくるのではないでしょうか。
▼こんな一冊も:
知的生産の技術 (岩波新書) |
|
![]() |
梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |