finalventさんの『考える生き方』を読んでいたら、次のような文章に出くわして思わず苦笑してしまった。
思いつきのように、「そうだ、プログラマーになろう」と思った。
「そうだ、プログラマーになろう」
と若かりし頃(今でも若いが)の私も思ったことがある。結果的に、20歳の前半のいくつかの年月はプログラミングや基本情報技術者の勉強に費やされることになった。
時は流れて、現在。
私は、いま物書きで生計を立てている。前職はコンビニ店長だ。プログラミングの知識なんて全然関係ない仕事をしているし、してきた。
じゃあ、昔学んだ知識がまったく無駄かというと、そういうわけでもない。わりといろいろなところで役に立っているのだ。
根源
そもそも、なぜプログラマーになろうと思ったのか。
単に、「会社員」になりたくなかったのだ。夢見がちな若者が抱く、夢見がちな憧れというやつだ。私の中で、優秀なプログラマー=会社に拘束されないで仕事ができる人、というイメージがあったのだ。それに、何かものを作ることも好きだった。一石二鳥である。
が、そもそもの動機としては、避会社員的欲求の方が大きかった。だから、それ以前は、バーテンダーにもなりたかったし、プロ雀士にも憧れていたし、デイトレーダーも目標に入れていた。ともかく、「自分の力」と呼びうるような何かで生きていける職業ならば__そして人様に迷惑をかけないですむ職業ならば__なんでもよかったのだ。
ともかくいろいろな分野に足を踏み入れ、いろいろな知識を仕入れることになった。
最終的にどの分野でもプロと呼びうるほどの知識やスキルは得られなかった。「素人に毛が生えた」だけのものだ。プログラミングだって同じである。人様に見せられる(あるいはお金を取れる)ようなコードは書けない。
でも、過去身に付けた知識の中では__物を売る技術と小さな組織のマネジメントを除けば__今の私の仕事に確実に役に立っているのがプログラミングの知識である。
自作ツール
それはなぜか。
私の仕事の大半がパソコンとの付き合いになるからだ。
いまさら10万字の原稿を原稿用紙とペンで起こすことはできないし、そもそもEvernoteを失ったら資料整理をどのように実施すれば良いのかも分からない。だいたい電子メールはどうするのだ。
他の知識労働者と同様に、私にとってパソコンは仕事道具である。
で、プログラミングの知識はその道具にオリジナリティーの要素を加えることができる。中世の職人が自分の手のサイズにあった道具を自分で作るようなものだ。
もちろん、大きなことはできない。Evernoteと自由に連携するテキストエディタ・アウトラインプロセッサを作る、といったことは__一つの夢ではあるが__不可能である。もちろん、イチから勉強すれば作れるのだろうが、それに投下するための時間が私の可処分時間にはない、という意味での不可能である。
ただ、特定の処理をまとめてこなしたり、ルーチンを代行させたりといったことは可能になる。
プログラミング自体は環境さえ整えれば誰でもが始められる。門下生になる必要もないし、国家資格もいらない。門はパブリックに開かれている。
さらにMacではXCodeを無料でダウンロードできるし、AppleScriptは__速度は知らないが__簡易で強力である。
こうしたものを使い、自分の手のサイズにあったツールが作れるのは、直接的な成果物に影響を与えることはないにせよ、時間の効率化は進められるし、気分良く仕事を進めていくことができる。
実際例
たとえば、以前紹介した「goEver」というスクリプト。
goEvernote(仮)をQuickSilverでもう一段早く&改名しました
とても簡単なコードだが、一日に一回以上は使っているMacのアプリとなっている。
もしかしたら私の他にも愛用している人もいるかもしれないが、複雑なことができない分、とてもシンプルに使えるツールである。で、私は以前からそういうものを求めていたのだ。
知識労働者の仕事環境は一様ではあり得ない。だから、吊るしのアプリではどうしても痒い部分が出てきてしまう。AppStoreの登場で開発者が増え、それにともなって多様なアプリが登場するようになったことで、この痒さの範囲は随分と狭くなったにせよ、まだ完全とは言えない。
しかし、自分でそれを作れるのならば問題はすっきり解決する。自分で求めている機能さえ定義できるのならば、後はその通りに実装すればいいだけだ。他の誰かの意見を気にする必要はない。
さいごに
おそらく、という保留を付けておくが、そう遠くない将来(そしてそんなに近くない将来)ではパソコンを使う人は皆最低限のプログラミングの素養を身に付けることになるのかもしれない。
いや、この書き方だと語弊が生じるだろう。
ようはタブレット端末が高機能化することで、大抵の仕事作業はそれだけで完結してしまい、パソコンを使うのは「わざわざパソコンを使う」というレベルにまでいくのではないか、ということだ。そういう世界では、パソコンを使う人ならば皆プログラミングの素養を持っていることになるだろう、という予想である。
まあ、どういう将来が来るにせよ、プログラミングの知識を持っているのは悪いことではないと思う。
(この話は別の形で続きます)
▼こんな一冊も:
考える生き方 |
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finalvent
ダイヤモンド社 2013-02-21 |
平成25年度 イメージ&クレバー方式でよくわかる 栢木先生の基本情報技術者教室 (情報処理技術者試験) |
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栢木 厚
技術評論社 2012-12-12 |
改訂 新Java言語入門 ビギナー編 (Java言語実用マスターシリーズ) |
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林 晴比古
ソフトバンククリエイティブ 2004-12-28 |
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