6-エッセイ

静かに考えることは

「時」の歩みは三重である。 未来はためらいつつ近づき、 現在は矢のように速く飛び去り、 過去は永久に静かに立っている。

フリードリヒ・フォン・シラー

人間ほど記録を活用している生物はいないでしょう。

他の生物に比べて、多少脳の割合が大きかろうとも、記録がもたらす情報の蓄積量に比べれば些細なものです。

教育、文学、歴史、科学技術、自分の人生・・・ありとあらゆる情報が、ありとあらゆる媒体を使って記録され、縦と横に伝わっていきます。縦とは時系列、つまり次の世代へのパス。横とは同世代、つまり同胞たちへのパスです。

その情報の伝達こそが、人間と他の生物に__もし引くとすれば__線引きしているのでしょう。

片方には私たちの脳があり、可塑性を含みながらも情報の新陳代謝を繰り返し、狭い脳の領域をうまく活用しています。
もう片方にはありとあらゆる記録があり、脳に置いてはおけない情報が保存されています。

この二つがうまくつながっているとき、両者はそれぞれの力を発揮し始めます。記憶だけでも、記録だけでも、足りないのです。

過去は永遠に静かに立っているかもしれません。しかし、立ち止まって振り返らない限りは、その姿をはっきり目にすることはできません。走りながら慌てて首をひねっても、姿はぶれてしまい、うまく捉えることはできないでしょう。

未来はためらいがちに近づいてきます。時に、赤子を迎えるように盛大にはやし立ててその歩みを促進することも必要かもしれません。すくなくとも、怖い形相で睨んでいては、ためらいの度合いは強まるばかりです。あるいは自らの足を速めて未来の方に近づいていくこともできるかもしれません。

足を止め記録から過去を振り返り、その足を未来に向けて進めていく。
それは、一つの物語を紡ぐことと言えるのかもしれません。

何を忘れないでいるべきか。何を新しく始めるべきか。
何を返し、何を孵すのか。

静かに考えることは、たくさんありそうです。

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